header

アペックス便り7月号

●決断と不退転の決意

帰宅して、家内に今日のS先生との内容を一部始終報告した。家内の反応を確認しながら、『どう思う?』と投げてみたら『すごいね!でも責任重大ね!』と喜んでくれたが、『そうだけど、収入面や経済的にはどう思う?』と突っ込んでみたら、『そりゃ安定は魅力だけど、貴方の人生の目標に合うかも大切だし…なにより雇われ社⻑のストレスで、貴方らしく無くなるのは嫌だな…、でも貴方のことだから後悔無く判断すれば良いと思うよ…私はどうでも良いから気にしないで決めてね!』と私が思っていたより素っ気なかった。ただ、私と同じく、一流新聞社からのヘッドハンティングの話には感謝して『すごい、すごい』と喜んでくれて、『今までの行動が認められたってことね…』と付け加えてくれた。

そして、一週間の期限まで、私は悩みに悩んだ。雇われながらも、大手一流新聞社の支社⻑として新たな一歩を踏み出すべきか、動き出したアペックス号の船⻑として[夢大陸]を探す大航海の旅を続けるのか…。

思い返せばA交易を退社する時に、O専務から[マレーシアのクアラルンプール支店⻑]の椅子を用意するから…と説得されても『自分の理想の会社を創る』と断わり、『後悔するなよ』と専務に言い残され、A交易を去り、その後A交易が東証に上場したことも有って、常に経済的には安定から程遠かった。結婚以来、家内には苦労を強いてばかりいて、それでも不安定な自営業に固執する意味は有るのか…。社会的地位や収入面で現状のアペックス号の船⻑、いや船頭と比べりゃ申し分ないヘッドハンティングじゃないか…。家内も口には出さないが本当は子供が出来て何より安定を望んでいるのでは?…等々。

そして私は決断した。何度も自分に叱咤激励しながら反芻した。『お前は、求める[夢大陸]も見ずにアペックス号を降りても良いのか!誘惑に負けそうなら、収入も社会的地位もY新聞社を越えれば良いではないか!A交易退社時は啖呵を切って、夢追及の為に辞職出来たのに、今回はグラつくのは何故だ。[家庭]を持った為だからなのか!お前はそんな程度の起業だったのか?…等々』と、理想に燃えるもう一人の自分が⻤のように立ちはだかる。そして結局、最終的には自分を支える信念に従う他無かった。

岐路に立つとき、私は無条件に選択する方法がある。

それは、『二手に分かれる道の先に、楽な道と険しい道が有るならば、黙って険しい道を選べ!』という選択法だ。若いうちに楽を求めるより、険しい道の方が実のある人生に繋がる筈だ…という確信が有るからだ。そして険しい道の先を乗り越えた時は必ず達成感が有る筈だ…という信念に支えられている。これまで同様、命まで取られぬならば夢のあるチャレンジの道を選択する。そしてモハメド.アリのように、リスクを恐れず一歩前に踏み出せばよいのだ…!

私がS先生にヘッドハンティングの案件を断る前夜に、家内に決断内容を報告した。これまでの苦労から解放され安定が手に入るのにそれを断る…という決断に、家内はニコッと笑って『私は断るのではないかな…と思っていた。』とアッサリと応えた。いろいろと自分の考えを伝える必要が無くなり拍子抜けしたが、『でも、引き抜きの話が舞い込むぐらいだから、自分を信じてやりたいことを目一杯やれば、この先はもっと良くなるわ!』と応援してくれた。今では笑い話だが、その後経済的苦境に陥るたびに家内から『あの時のヘッドハンティングの案件を引き受けたら良かったね…』と冗談交じりに笑いながら冷やかされ、私は常々Y新聞社の待遇が自分の課すべき最低目標になったのも自身の良き励みになったのは間違いない。こうして、途中上陸せずにアペックス号の船⻑として未だ見ぬ夢大陸の航路の舵を増えた家族と共に取り続けるのだった。

●⻑男の誕生

平成6年の残暑の厳しい9月下旬に⻑男が誕生した。⻑女の時は病院から知らせを受けたのが昼過ぎだったせいもあり、仕事に追われていた私の⻑女との対面は、身内の中では一番最後になったのだが、⻑男の時は深夜0時過ぎに知らせを受けたので、真っ先に病院へすっ飛んで行って⻑男との対面を果たすことができた。

今でも覚えているが、家内の出産入院期間の間、幼い⻑女を実家に預け寝泊りしていたので、病院からの知らせを後ろで固唾をのんで聞いていた父親の『ヨシッ』という大きな叫び声には驚いた。

⻑男でもあった父親の⻑男である私の⻑男が誕生したのだから、父にしてみれば正に三代にわたる直系の系譜を確認できたのだから、喜びもひとしおだったようだ。男の子の誕生ぐらいで、なんと大袈裟な…と思ったが、今日私も⻑女を嫁に出して、また⻑男が嫁を貰う立場になって初めて、我が父親のあれほどの歓喜が理解できるような気がする。

私は病院にすっ飛んで行って、ガラス越しに⻑男の寝顔を見つめながら体の底から沸々と感動とエネルギーが溢れんばかりに湧き出すのを感じていた。

脈々と途絶えることが無く受け継いできた先祖の名前に恥じることなく、私がこの息子にどのようなバトンを引き継ぎ、手渡せるのだろうか…と想像してみた。

玄界灘を渡って戦前、戦中、戦後と辛酸を舐めながらも家族を守り、苦労しながらも家庭の礎を築きあげた父親の背中を観ながら育った私は、有るべき家⻑の姿を父と自分自身に重ねていた。厳しくとも深い愛情を注ぎ、期待しながら育てた我が父の思いが解り、万感の思いが込み上げてくる…。

私は安らかに眠っている息子の寝顔を眺めながら、限りなく広がる未来の夢と展望に、明るい輝かしい希望と可能性を重ねながら、生まれたばかりの息子から大きな勇気が与えられた様な満ち溢れた気持ちになっていた…。そして、実際に息子の誕生を機に、水面下で[教育事業]の意識が育まれていたのである。

●阪神淡路大震災

長男の100日誕生も済ませ、慌ただしく年の瀬を迎えながらも平成6年が静かに過ぎ去り、平成7年の新年を家族4人で厳かに迎えた。松の内も終えて本格的に新しい年も動き出した17日の未明、ドカンという身体を床から突き上げる様な、今でも身体に刻まれている何とも言えない衝撃で飛び起きた。暫くしたら、建物が轟音と共にグラグラと揺れ、家財道具が動き倒れそうになるので、ベッドに眠る息子を必至で守りながら、家内はというと、⻑女を抱きながら事態が収まるのを余震の恐怖に怯えながら、我々は一体何が起こったのか事態の収拾を掴めないまま、⻑い余震に耐えていた。それが我々にとって阪神淡路大震災の序章だった。

[次回に続く]

※大いに悩んだ末に、Y新聞社のヘッドハンティングの話を断り自営の道を続ける中長男が誕生する。新しい家族が増えて、更にエネルギッシュに活動していた矢先に阪神淡路大震災を経験する。取引先が特に神戸方面を中心としていただけにこの未曾有の大震災が、アペックス号の航路を水面下で舵を狂わせていく…。大きな嵐に巻き込まれたアペックス号の航海は如何に…

おしらせと今月の予定

今月の予定
○7/10日〜20日(小学/中学…成績懇談会)
○7/22日より夏期講習開始
○7/29〜31日振替授業 [5週目ですが8月分授業]

◆合宿期間8月17日〜19日の2泊3日
◆夏期講習7月22日〜8月24日の期間
●内部生徒はもちろん外部生徒も格安で参加できます!!
★詳細は、お問合せ下さい!

アペックス便り バックナンバー