試験を終えて宿に戻って相部屋に入ると、既にそこは侃侃諤諤と試験内容の正解を確認する大騒ぎで、受験生の一喜一憂の歓声で異様な状況になっていた。
私は会話に加わる気になれず、愛読書の『考えるヒント』を紐解いて、一人で密かに現国の正解合わせを確認しようかどうかと躊躇しながら悩んでいた。確認するには未だドキドキしていたので、愛読書はポケットに収めたままだ。
ところが相部屋の一同が、口を揃えて現国の出題内容に対して憤慨していたので、そんな様子が少しばかり私を安堵させた。『やはり、皆もあの現国には苦戦していたのだ…過去問でも一度も出題された形式では無かったし、そもそも奇問すぎるし…』耳に飛び込んでくる連中のボヤキが手伝ったのか、何となく少し気が楽になったので、私は部屋から出て廊下の端っこに座り込み、解答のチェックをしてみる覚悟が出来た。
恐る恐る愛読書のページを開けて、段落ごとの順を追い、自分の解答を思い出しながら確認していった。
『一段落は…よしっ大丈夫、二段落は?…よしっ、合っているぞ。三段落目は?…よかった、イケている!四段落は?…おー、オッケー!よしよし…』次は試験終了間際に解答を書き換えた肝心の五段落目だ…。流石に一気に確認することが出来ず、一旦愛読書を閉じて目も閉じた。こんな緊張した答え合わせは、人生で後にも先にも経験が無かっただけに、心臓の高鳴りだけが耳にこだまして暫く時間が止まった。そして大きく深呼吸した後に『えいっ、間違ってはいない筈だ。自信を持て!』と思い切り、再度愛読書の核心箇所のページを開けた。
凝視の先は五段落目だ。じっと睨むように文章の出だしから一語一句活字を拾っていく…。
『ん?えっ?…そんな馬鹿な?…嘘だろう?』
そこには訂正して書き直す前の入れ替え前の段落がハッキリと綴られていた。一瞬我が目を疑ったが、何度見ても書き換えをする前の答えが正解だった。
『あ゛〜、現国はゼロ点だ…すべては終わった…』
全身から力がスーッと抜けていく感覚は、今でも身体で覚えている。そして目の前が真っ暗になり、身体が震えだす。暫く動けず、気を取り直してもう一度愛読書を確認してみる。しかし何度見ても、愛読書は嘲り笑うかのように、書き換え前の段落を誇示しながら私に残酷な現実を突きつける。座り込んだまま天を仰ぎ、自然と涙が溢れ出す。悔しいというより、なぜ書き直してしまったのか…と自分を責める。
書き換えた部分以外は全て正答していた。『いや、こんな奇問全員アウトやろう…』と自分を励ましてみても、空元気さえ振る舞えない…。相部屋に戻り、他の受験生から顔色の悪さを指摘されたが、そのまま倒れるように寝込んでしまった。
翌朝大阪への帰路は船便で、しかも極度の船酔いにやられて甲板で嗚咽しながら、何度も吐いた。甲板から身を乗り出し、海を走る船が作る波間を眺めながらフッと頭によぎる…。『このまま海に落ちたらええなぁ、楽になるかなぁ…』トコトン弱り切った自分に愛想が尽いたように自虐する…。何も言わずに送り出して貰えた両親の顔が浮かんでは波間に消えていく。高校受験を失敗したとき、「大学受験で取り返せばよいよ」という、亡くなった梁先生の言葉が空しく響く。人生の多感な時期の挫折で、初めて死にたいと思った瞬間だった。しかし両親の顔が出て来ては消え、絶望感でそのままへたり込んで泣き崩れた。
そのまま揺れに身を任せ、春先の冷たい潮風に身を洗われながら、涙も乾ききった頃に船は大阪に着いた。重い足取りで電車を乗り継ぎ、何とか家に辿り着いた。
大学受験の経験の無い両親にとって、当時の息子の行動はどのように映っていたのだろうか…。一度きりの人生だから後悔無くやりたいことをやりなさい…が口癖だった両親は、何事も干渉せずにいつだって見守ってくれていた。連鎖倒産の危機の中で必死に生計を支える父は、特に学歴に対する憧れも有ってか人一倍期待していたに違いない。学歴が無い為に商売するしか無かった…を口癖にしていたぐらいだったから、学べる環境とその環境の為には惜しげもなく精一杯援助してくれたと、母も父には感謝していた。しかし、全く進学に関する経験も無ければ見識も持ち合わせていなかった両親にとって、子供を適切に導く術も無ければ、子供に任せざるを得なかったのが実情だっただろう。在日一世にとって日本社会での既設のレールや経験が無い時代に、切り開く突破口は子供世代のチカラに結局任せるしかなかった。進学、就職、結婚などの人生の転機も、日本社会での既存のレールが無い中、その都度両親は手探り状態の連続だったに違いない。
帰宅してからの私は会話する気力も失せていたので、数日間は部屋に籠っていた。
入試を終えて会場を去る前に合否電報を申し込んでいたので、数日後に電報は届いた。現国のゼロ点以外は手応えがあっただけに、微かな希望を持って電報を開けてみた。電報には『サクラチル』と書かれていた。やはり奇跡は起こらなかった。電報を握りしめ、改めて不合格の現実を目の当たりにして、全身の力が抜け打ちひしがれてベッドに仰向けて倒れ込み、そのまま目を閉じた。
現役不合格の時は涙一つ出なかったが、浪人しての再度の不合格は溢れ出す涙を止められず、暫くベッドで嗚咽した。自分のチカラの無さと、何も分からないまま放蕩する息子に期待する両親を思うと、やり切れなかった。
今後の歩み方も見えず、絶望感しかないどん底に突き落とされた気分で、蟻地獄にハマっていく感覚しか覚えていない。こうして、私の一年間の宅浪生活は空しく終わった。
私の再度の不合格を気遣ってか、私自身が家族とまともに顔を合わせる気分に成れないのを知ってか、母親や姉弟たちも私にそっと触れないような空気が家庭に充満していた。私も暫くは食事も喉を通らず、家族との食事も避けていたことにシビレを切らしたのか、ある夕餉のときに父は私に切り出した…。
『受験のことはようわからんが、若いうちの一年や二年の回り道なんて、長い人生の中では何でも無いわ…。いつまでも不貞腐れんと、又やりたかったら挑戦したらええやないか!まず、ちゃんと飯食って、元気出せ!』
父の一言は、どれだけ私の心を軽くしたか分からない…。この先我が身の方向付けが見えず、途方に暮れていただけに、一筋の光を投げた一言だった。
堰を切ったように、「そうよ、偶々運が悪かっただけよ」と母も同調して、更に姉弟たちも「諦めたらアカンわ」「今まで頑張った分も勿体ないやんか」と励ます始末だ。
私は嬉しくも有ったが、家族に期待感だけ先行させる自信も無かったので『うん、今後どうするか真剣に考えていく…』とその場は空元気を装って明るく答えた。
そして重苦しい空気を転換させる機会を得て以降は日毎に明るく努めながら、やがて日常の家族の中に又戻っていく事が出来た。
父の一言が決定打になって救われた私は、良くも悪くも自分なりの決意を改めて家族に宣言する為に試行錯誤した。共に浪人した友人たちは見事に志望大学の突破をしていた。久しぶりに親友たちと会って皆で簡単な祝賀会と激励会をしながら、私は彼らの予備校での一年間の生活ぶりなど聞きながら情報収集していた。流石に再度の宅浪は自信も無く、又自分なりにやり尽くした感も有ったので今後の選択肢には無かった。だからと言って予備校も経費が掛かるし、私に適するかどうかの見極める材料が皆無だっただけに、親友達も情報提供しながら真剣そのものに私を応援してくれていた。
インターネットも無い時代の情報収集の主力はクチコミだ。そして、予備校に集まる浪人生たちの持ち込むクチコミ情報の鮮度が、良くも悪くも不安定な浪人生たちに救世主のような光を投げ込んでくる。
凄まじい情報が交錯している世界なのだと妙に感心しながら、そんな受験情報に耳を傾けていた。志望校合格を果たした友人に改めて問うてみた。
仮にお前が俺やったら、どこの予備校にする?どこでも同じちゃうの?やはり本人次第とちゃうのか?』すると、『いや、経済的に許されるなら俺やったら京都のS予備校にするわ…特に医学部の実績が違うからな…寮もあるし、入学に厳しく選抜するから周辺のデキる奴が集まるらしい…』
当時の予備校は未だ乱立状態ではなく、大手予備校の黎明期で、特に首都圏から関西圏に進出し始めの頃で、西の京大を拠点にする動きからか、大阪よりも京都に有名予備校が群雄割拠していた。特にK予備校よりもアタマ一つ実績を積み重ねていたS予備校の京都進出は魅力的に感じてきた。
その後私も自ら受験雑誌を調べながら、自分に相応しい予備校の情報収集に精を出していたら、ひょんな事から高3時代のクラスメートから電話が掛かってきた。『やあ、久しぶり、俺も…今年も医学部落ちて2浪するねん…お前もアカンかった噂が聞こえたから思い切って電話したんやわ…で、俺、来週に京都のS予備校の選抜試験に行くけど、一緒に受験せんか?お前も医学部受験の為に2浪するんやろ?』受験シーズン後の合否情報の速さに驚いたたが、このクラスメートの誘いの電話は正に渡りに船だった。しかもそのクラスメートは開業医の息子で、医学部合格が必須の彼は、合格すれば寮に入ると言っている。私より切実に医学部合格の窮状を訴えながら電話で促すものだから、私も『よしっ、分かった。受験する』と安請け合いしてしまった。予備校受験と言えども、合格後は通うなり入寮するなりの前提が有っての受験なのに、私は事前入手していたS予備校の実際を垣間見たくなって、翌週にクラスメートと受験をする為に京都に向かった。
近いと思っていた京都が時間的にも意外に遠く感じられ、クラスメートの入寮前提の意味が分かったが、私の家庭経済状況で入寮など許される訳が無い。ましてや京都まで通う前提の予備校を両親が理解してくれるだろうか…と両親には内緒でとりあえず予備校受験に京都に行った次第だった。
両親に内緒で受験した予備校受験後の結果発表を、再び京都まで確認しに行く余分な交通費も無かったので、クラスメートに合否の確認を依頼しておいた。数日後、クラスメートから電話が有った。
『お前は受かっていたけど、俺はアカンかった。受かって良かったな…。もちろん行くんやろ?』
『うん、そのつもりやけど…親に相談せんと未だ何とも言えんねん、電話ありがとう』と、落ちたクラスメートには申し訳なかったが、内心「これで俺も来年は大丈夫かも!」と、はやる気持ちを抑えながら、予備校合格の経緯を母親に報告した。
『そう、良かったね…、でも京都だしお金も必要なら、先ずお父さんに相談してみないと…』母のいつになく曇った反応に私は先行きの不安を感じた。
[次回に続く]
※たった一問のミスが合否に影響する事を身をもって体験した私は、人生の岐路に立たされる。このまま家業を手伝うか、再々チャレンジの二浪を覚悟するか…。父の一言で二浪を決意し歩み始めるが、予備校通いが更なる転機をもたらす…人生の大転換を余儀なくされた予備校での生活は如何に…。
長かったコロナ禍も、5月にようやく5類に移行しました。黄金週間はかつての賑わいを取り戻し、インバウンド需要も回復しつつあるようです。3年間もマスクを強いられ、学校行事も見送った子供達が、また元気に明るさを取り戻し、輝く日々を送りながら、掛け替えのない時間を有意義に過ごして欲しい限りです。
今月の予定
○6/24日…全国テスト※対象は小/中の全学年(AM10:00〜各教室にて実施)
○6/28〜7/1…全クラス休講