予備校の学費を聞いた母の躊躇した返答が暗雲を齎したが、その夜の夕食時に、思い切って予備校の件を父に切り出して嘆願してみた。大学と言えば旧帝大の名前しか知らず、しかも学歴に対して異常な憧れを持っていた父の反応は、私の想像以上だった。
『えっ?予備校って何するところや?大学でもないのに、何でそんなに授業料高いんや?そんな予備校に京都まで通う意味有るんか?大学と違うのに…』私が想像する以上に、受験情報を持ち得ない父を、これ以上説得するのは無理だと察し、『いや、聞いてみただけやわ…大阪にも色々予備校有るから、今エエところ探しているねん…』と、アッサリと父への嘆願を撤回して、部屋に引き返した。よくよく考えてみれば『男は15歳にも成れば元服している歳や…親父も二十歳前から所帯持って、今日まで独力でやってきたんや!』と言うのが口癖の父親に、頼もうとしたのが間違いだった。しかも当時、他人の尻ぬぐいの為に莫大な借金を抱えた父に、ノー天気でノコノコと嘆願する自分の甘えた構図の羞恥に耐えられず、以降の私は何事も意地でも両親には一切の頼み事をしてこなかった。後に大学の学費ひとつ、車の免許からマイカーの購入まで如何なる全てのおカネは、自分でバイトなどしながら捻出してきた次第だ。もしかしたら、人生の一番肝心な分岐点で金銭的援助をして貰えなかった両親に対して、余りの無知ぶりと情報格差に落胆して両親を恨んでいたのかも知れない。
今思えば厚顔無恥の若気の至りで、まさに親の心子知らずの極みで、流浪しながら行き場の無い我が身の精神的不安定を周囲に八つ当たりし、私自身が意固地になっていただけなのだろう…。しかし、これを機に精神的にも物理的にも親から自立することを自分自身に徹底させて、意地でも誰にも介入させない覚悟をし、実践したことが、結果的にその後の人生の歩みを更に挫折だらけの遠回りの海路となって進むことになっていく…。持て余すエネルギーとやり場のない気持ちが空転しながら、自分の運命の運び方の不器用さに、更に拍車が掛かっていったように思える。
京都のS予備校の1年間で、ケリをつける希望を見出そうとしたが、あっけなく父に遮断されて、再度身の振り方を模索する羽目になった。いずれにせよ予備校での学費援助が不可能な家庭事情が判明しただけに、残す選択肢は限られていた。受験情報を友人や雑誌などで入手しながらリサーチしていたら、大阪の老舗のO予備校が、【特待生】を募集しているとの情報をキャッチした。
合格すれば、地元でしかもコストが掛からないのが最後の砦に思え、躊躇なく受験してみた。予備校の広告戦略の一つで、医・歯・薬学部や、旧帝大への合格実績を作るために特待生募集をして、特にデキる浪人生の上位層エキスパートを集める常套手段である。
幸いに、受験結果は「合格」したので【全額学費免除】でとりあえず1年間の身の置き場所が見つかった。こうして、私の2浪目の生活が始まった。
自分自身を抑圧したストイックな自宅浪人を経て、予備校での浪人生活は少し新鮮だった。配属された特別理系クラスは、大半の浪人生が医歯薬系か旧帝大の理系学部を受験しての不合格で、皆が来年に期する思いで集っていた。中には二浪、三浪もいたが大半は一浪目の生徒で、私よりは年下だった。
一か月もするとお互いに打ち解けあって、次第に仲良くなる同志も出来始めた。大半の生徒は公立トップ高の出身で、特に大手前高校出身の5人グループと私は仲良くなった。自宅浪人中でも筋トレを欠かさずしていた私の筋骨隆々の身体は、相当目立っていたようだ。それに、たまたま隣の文系クラスに同じ高校出身者のO君が居て、面識も有ったので、彼もグループに顔を出すようになり、共にランチなどしながら仲良くなった。こうして浪人生を忘れるかのように、悲壮感も無く予備校通いは順調に滑り出した。
四月を終えて、五月病ならぬ[マンネリ感]が突如私を襲ってきた。
それなりに自分を追い込んだ自宅浪人で学習を積み上げてきた私は、何を見ても繰り返しのマンネリ学習に飽き飽きしていた。予備校が毎回実施するテスト結果もそれなりに上位氏名に名を重ねていたので、すっかり受験勉強に対するストイックさを失いつつあった。しかも予備校立地のせいにはできないが、ミナミのど真ん中の環境の刺激が、これまで抑圧した自宅浪人の鬱憤を解き放つかのように毎日誘惑しながら襲い掛かってきた。年下の仲間を引き連れ、親分気分で繁華街を闊歩するのは、まんざら悪い気分では無かったし、ミナミの雰囲気やネオン街は超刺激的で新鮮だった。
若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、毎日のように皆で喫茶店に入りびたり、煙草や酒も覚えて、おカネが無くなれば一日単位の肉体労働のバイトでしのぎ、次第に予備校をサボるようになってきた。一度転げ始めると加速するのは世の常で、遊び始めた私は、内心「マズイ」と思いながらも、歯止めが利かない状態になっていた。
そんな折に、決定的な事件が起こった。ある日、予備校で再会したO君が血相を変えて私のところに飛んで来て助けを求めてきたのだ。何事かと問うてみたら、他の文系クラスのグループに因縁をつけられて、昼休みに予備校裏の公園に呼び出されていると訴えているのだ。彼曰く、身に覚えはないが相手の気に障る生意気な態度に因縁をつけられ、ケリをつけられる…とのことだった。どこにでもバカな輩は居るもので、避けられない展開になっていることを察して、私は彼の助けを快諾した。予定通り、昼休みに予備校裏の公園に出向くと、既にその輩たち数人が待ち構えていた。彼らに経緯を確認して、私がO君の代わりに詫びを入れたのだが、相手は納得いかないのか次は私に絡んでくる始末だ。一戦交えろと、喚き散らしながら突っかかってくる。仕方ないので、今回限りの一戦で以降は絡まないで欲しいと了解を得て、皆が取り巻く中で、私が代理で相対することになってしまった。噂によると、ケンカ空手を標榜するメンバーらしく、空手の構えをしながら間合いを取ってくるものだから、私も久しぶりに空手の練習相手を得たとばかりに真剣に対峙しながら応戦した。伊達に空手の修行を積んでこなかった事を幸いに、相手の隙だらけの構えが見えた一瞬を逃さず得意技が決まり、相手をノックアウトしてしまった。
もちろん急所は外して決めたのだが、相手は暫く立ち上がれなかった。見届けた周りの取り巻き連中も、勝負ありと潔く判定をして、引き下がりその場を去っていった。
O君は、代理で戦った私に礼を重ね大袈裟に感謝し、私を労ってくれた。内心私もホッとしたが、因縁はこの日の決着で収まらず翌日に更に大変な展開になっていった。
翌日、次は私を名指して直接出向くように、ケンカ空手の門下の使者が私に伝令にきたのだ。どうやら、昨日叩きのめした門下生の汚名を拭うために、直接に彼らのケンカ空手の師範が私に会いたいという主旨だった。断るとどうなるか…、と脅しながらの呼び出しの勢いだったが、こちらに非も無く避ける必要も無かったので、了解してとにかくこの件の決着をつけたかった。原因となったO君は私に申し訳なさそうに詫びる一方だったが、この流れを止める為に決着を見届けて欲しいと、O君には同席だけを依頼しておいた。夕方に、指定された喫茶店にO君と出向いた。地下に個室のようなスペースがあり、案内された。奥のシートに坐するように指示され、取り巻きが10人ほど出入口を塞いだ。そして、身動きが出来ない状況で、ケンカ空手の師範と初めて対峙した。
内心「えっ?この華奢な優男が師範?」と思ったぐらい、イメージとはかけ離れていた。『T.Sです。この度はうちの門下生が無礼をして申し訳ない…』と切り出した眼光が鋭く殺気立っていたのが印象的だった。私の空手歴や、この度の経緯をいろいろ質問されて確認すると、再度深々と私に頭を下げて詫びながら『この度の無礼のお詫びの印に、うちの道場に来て稽古を観てほしい』と切り出してきた。あまりの殺気に、私は『そうですね…、流派を持たない実戦空手がどの様なものか観てみても良いかもしれませんね』と、後日彼らの道場に行く約束をしてしまった、というより半ば強引に約束させられた。後日談だが、改めて私を道場に引き込み、試合形式で私をボコボコにするつもりだったらしい。
しかし、私に全く非が無かった経緯もあり、後日道場で門下生と私の組手を見て、その師範は私に、是非入門して欲しいと再度アタマをさげてきた。その場の微妙な空気や経緯の流れや丁重に迎え入れようとする姿勢もあって、長らくの浪人生活での運動不足も相まって、私は道場での練習参加を受け入れてしまった。そしてその後、週に数度、道場や公園などでケンカ空手の練習に門下生として参加するようになった。
人生には何が起こるか分からない。友達の助けに応えることから実戦ケンカ空手を標榜する道場に身を置き、身体を鍛える毎日が始まった。当時は格闘ブームで、梶原一騎の「四角いジャングル」などのヒットも相まって、異種格闘技の花盛りであった。
師範のT.Sは華奢で細身であったが弁の立つ事業欲の盛んな若者で、アントニオ猪木が率いる[新日本プロレス]との交流があった。そしてT.Sの門下生の一人にM.Aさんがいた。何度か練習に顔を見せたM.Aさんは、ケンカ空手の道場から新日本プロレスに送り込まれ、一年余りの修行を積んでデビュー間近の有望株だった。当時、細身だったが190センチを優に超えて機敏な動きをするM.Aさんの存在は、道場にとっても大きかったに違い無い。M.Aさんに続けと、道場生のなかでプロを目指す者も数人いて、同じ予備校に在籍していた大手前高校出身の仲間のT君もその一人だった。
彼と私はいつも師範のT.Sと同行することが多かった。ある日、M.Aさんの練習を観に新日本プロレスの練習場に行ったとき、T君と私はそのまま練習生としてスカウトされた。
仮にも受験予定の私は【プロレス入門】を断ったのだが、T君は快諾して親を説得すると言い出し、大学だけは入って欲しいという親の約束を果たして大学受験後に入門したらしい。神戸大学に合格して、暫くして退学届けを出してからの入門と聞いて驚いたのだが、実際の私と言えば、秋口ぐらいから自分の見失いかけた「受験」を正面に見据え直し、悩んでいた最中であった。実戦空手にドップリと、のめり込めなかった理由に、昔ながらの伝統空手の郷愁も心の中に鮮明にあった。今までお世話になった松前師範に、大学合格後の報告を兼ねての帰還を果たせぬまま、という状況が心苦しがった。
そして、ついに師範のT.Sに私の心情を訴え、大学受験の後に元の道場へ戻りたいとの旨を伝え、受験に専念することを申し出た。私の気持ちを察したのか、師範のT.Sは理解を示してくれて、その後彼らと袂を分けて、別れる決意をした。
若気の至りとは言え、実際に一歩間違えばプロレスラーを目指していたかも知れない心身の不安定な時期だった。しかし実際の壮絶なプロの練習や厳しさを垣間見て、プロとして存在する選手が如何に努力しているのかも伺い知り、貴重な体験ができた。
特にデビュー戦の応援に行ったM.Aさんのその後の格闘界での活躍ぶりは目を見張るものが有り、彼の格闘美学や言動に直接触れる機会が有ったのは、プロとしての生き様に共鳴できて大いに参考になった。どの世界でも、プロとして生き残るのは容易な事ではないが、才能×努力×夢×運の要素を自分自身で再確認するほか無かった。
【成功】に不可欠な[才能×努力×夢×運]の要素は一つでもゼロの要素が有れば[無]になる。(乗じる世界)はゼロを掛けたら全てゼロになるのが人生だと自分を諭した。そして、春から半年ほど彷徨った私は、再度浪人の原点に戻り、大いに焦りながら自分のゴール設定を再認識して、受験学習を本格始動することにした。…
[次回に続く]
※予備校での2浪目が開始するも自堕落な生活に陥り、友達の事件に巻き込まれ、あわやプロレス界に入門するか否かと思わぬ展開をしていく…果たしてこの先の航路は如何に…
7/24より夏期講習が開始します。受験生は必修ですが、非受験生も積極的に参加して、自分の弱点課題を克服する夏にしましょう!外部生も参加出来るので紹介してね…!8月には恒例の夏季強化合宿が8/11〜13の3日間で今年も実施します!積極的に参加しよう!!
今月の予定
○10〜22日…成績懇談会
○24〜 夏期講習開始