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アペックス便り12月号

◆前回のつづき  〜退職…そして起業〜

A交易の入社のきっかけと縁を戴いた常務に辞表を提出したが、受理して貰えず辞めるまでが本当に大変だった。当時、社内で預かり高と顧客数がトップだった私の辞表は、会社では激震だったようで私はすぐに東京本社へ呼びつけられた。

東京で、後に[A交易]を上場させた中興の祖と言われるO専務に一週間あまり付き人をさせられながら、専務から辞表の撤回を諭された。マレーシアのクアラルンプール支店の支店長のポジションも用意され、私の慰留に専務の説得は続いたが、私の辞意は固かった。

余談だが、会社での出世には人脈が全てといって良いほど、人的派閥の本流に乗らなければ出世できないことも目の当たりにした。当時のA交易は、経営陣に二大派閥がありI社長の派閥とO専務の派閥に分かれていた。次の社長の呼び声が高いO専務が、直々に私を呼び込みポストを用意する話は、出世街道を考える社員なら誰もが羨む、願っても無い話だ。

だが私は天の邪鬼の様な所が有り、ご褒美や[ニンジン]をぶら下げられると余計に反発したくなる性格みたいだ。たとえ専務の直々の留意とは言え、最後まで自分の大義を通してやっとのことで辞表を受理して貰った。専務は最後に『お前の理想は分かったが、後悔だけはするなよ…これほどのバカとは思わなかったが、お前なら何とか生きていけるだろうな…』と言い放ち、苦笑いした表情が印象的だった。『はい、暖かいお言葉と身に余る厚遇のお話を有難う御座いました。でも、たとえ独力でも、自分の理想とする会社を作る夢を諦めたくありません。安定よりも夢が勝るのです…』と専務に伝え、社を立ち去るときに私は渋谷のA交易の本社を暫く眺め激動の三年間を思い出しながら、特に研修期間の渋谷界隈の飛び込み営業など振り返り、万感の思いを残し帰阪の路に向かい東京を後にした。

私の退職後に、同期の友人からの報告では私の辞職の責任をとらされた常務が、本流レースから外され、子会社の役員に出向させられたらしく、サラリーマン社会も大変だな…とつくづく思った次第だ。私が辞職して二年後に予想通りにO専務が社長に昇進して、遂にA交易は東京証券取引所に上場した。

持ち株を持っていた社員は上場してからの売却益でかなり資産を増やした様だが、私は辞職時に全ての持ち株の返却義務が有ったので、売却益には縁が無かった。私の在職時に上場がいよいよ本格的に可能性を帯びていたので、私の辞職を止める先輩や仲間の助言も有ったが、一切聴き入れることも無く我関せずの姿勢を貫いた。もし辞職しなければ1億円は下らない売買益を手にできた筈だが、上場前に辞めた私には全く絵空事に過ぎなかった…。元来、楽をするよりも好んで苦労する性質かも知れない…。実際会社を辞職してからの私は、売却益のようなおカネのタイミングを逸するどころか、現実に新たなスタートを切るために更に模索し、次の身の振り方を考えながら右往左往していた。就職してサラリーマンも経験できて、しかも凝縮した濃い3年間の後に芽生えた独立心は、より具体的なカタチとして表れ、自分の掲げた理想を追求することに増々拍車が掛かった。『やはり自分の理想の会社は自分で作るしかない…』と原点回帰しながら、起業することしか道は残されておらず、新たに起業する決意が固まったのだ。

どうせ一度の人生だから、後悔無く自分で舵取りしながら航海したいものだ…。自分の関わる全ての人が喜べる仕事を作りたい…と会社の存在意義と理念ばかり考えて、これまでの経験をリセットしてみた。私の起業の条件は、未経験と既存に無いものに拘った。ゼロからのスタートをして、世に問いながら、いかに人々に受け入れられるか…受け入れられなければ自然淘汰されるだけで、元来私にチカラが無かっただけ…と思えば良いのだ。では、一体何をすれば良いのか…。

私には以前から心に温めていたアイデアが有り、この機に世に問うてみようと起業する決意ができ、いよいよ行動するべき時が来たと万感の思いでいた。実際にマーケティングや市場調査をせずに起業するのは博打のようなものだが、ニッチのニーズに焦点を当てて模索していたアイデアに賭けてみようと頭の中は膨らんでいた。

これまでの世に無かったものだから、そもそも市場調査のデータも無いに等しく、やってみなくちゃ分からないという勢いだけで突っ走っていった。私のアイデアは[子供の成長期に誰もが必ず経験する最初の大人への第一歩ともいうべき、歯の生え変わり]を記念する[メモリアルグッズ]の開発だった。日本の古き伝統としての七五三や、桃や端午の節句に子供の記念需要が存在するように、新しく歯の生え変わりを記念して、大人への第一儀式として認知して貰えれば、少子化とはいえども確実な需要が見込めると判断していたのだ。ましてや、身体の一部を可愛く保存できれば、一生の宝物になるのでは…と目論んでいた。計画を具体的に進めていくために、私は水面下でアイデアの可能性を探るべく、知人、縁者にアイデアの可能性や購買意欲を聞こうと独自でマーケティングを試みた。そんな起業の下準備に追われていた頃、以前の勤めていたA交易時代の他の課のN次長から久しぶりの電話が入った。

N次長は、新入社員の頃の大阪支店での研修担当をしていた上司で、直属の上司では無かったが、アウトドアの趣味や遊びの志向が合っていたので、良く食事にも誘われて気心が知れた先輩のような感覚でお付き合いをしていた人だった。実際、休みの日などは、家族ぐるみでキャンプやアウトドアの遊びに興じたりすることも多く、同じ職場の上司という感覚では無かった。そんな彼の電話の内容といえば、私の起業への状態や、内容を詳細に聞くに留まらず、N次長自身も会社との軋轢が我慢できずに近々辞表を出して退社する旨の話だった。

私と違って所帯も持ち、勤続年数も10年以上の役職にあるN次長が辞めるというのは、相当な決意が要ったのだろうと想像しながら、とりあえず会って欲しいとのことを快諾して改めて直ぐに会うことになった。彼自身は関東の栃木出身で、独特の訛りとテンポの良い調子に久しぶりに私も会話に弾んだ。彼曰く、A交易の新入社員当時から私の言動には興味があったらしく、特に営業成績の絶頂期に突然の辞表を出して、退社したことが一番驚きだったらしかった。会社にしがみ付くこともなくアッサリと築いたポジションを捨てて転身していく私に対する関心はその後益々あったようで、実際に彼自身も辞職するにあたり、長年のシガラミやサラリーマンとしての苦痛から解放されて、先ずは良かったと思っているようだった。

会社を離れた以上、上司の枠も無いので、私とは対等に今後も友人付き合いをしたい旨だったので、私も歓迎した次第だ。そして、更に話は私の起業の方向性に及んでいった。彼は、私の[メモリアルグッズ]のアイデアや可能性には太鼓判を押しながら、自分も参画して共同で夢を追ってみたいという主旨だった。実際に所帯も持つ彼が、このビジネスに賭ける度合いは私に劣らないぐらいの熱情で実務を語り、関東出身の彼のネットワークを活かすべきだと主張しながら、共同出資の会社設立を私に促すのだった。どちらかと言えば、カタチよりも中身が大切だと主張する私だったが、日本でのビジネスは外見からの印象が大事だと、会社組織の法人化と活動拠点の事務所が必要だと説得する彼の意見を、年の功と尊重しながら私も同意して、彼と二人で共同出資をして会社設立からの共同経営をすることにお互いが賛同して起業することになった。私としても内心、一人よりは二人の方が強いだろうし、彼の人生のキャリアも付随して会社に寄与していくだろうと、年配の彼に敬意を払って、お互いの強みを如何なく発揮して会社を大きくさせようと夢を膨らませていた。彼の申し出でに背中を押されたように、トントンと起業のスタート準備に取り掛かった。年配の彼の意見を尊重しながら、会社実務をフィールドにする彼が[社長]の役割を担い、私は得意の営業を主たるフィールドにする[専務]の位置づけでスタートすることになった。たった二人で社長も専務も有ったものでは無いが、お互いは対等の関係で成功も失敗も全てはフィフティ、フィフティで分かち合う取り決めにした。出資金もお互いが折半することに合意して私は500万円を彼に預けた。会社名は彼の希望を受け入れ[(株)NECC]と決まった。事務所は、私の父所有の空いた古家に、家賃を支払う形で格安で間借りの契約をした。

電話を施設し、最低限の備品や機材を導入していよいよアイデアをカタチにするべく製品開発に的を絞った。

一生の記念品にする為のグッズのキャラクターをどうするのか…と毎回いろんな意見をぶつけ合ったが、ある日彼の情報で、愛知の瀬戸市で著名な[陶芸作家のO氏]の存在を知って、直接会って我々の企画に協力を頂けないかなぁと提案してきたので、それは妙案だと私も賛同して、善は急げとばかり、直ぐにアポをとり我々は瀬戸市に向かった。

瀬戸市に到着してO氏と初めて面談してみたら、我々の企画にO氏がすごく興味を持たれ是非とも協力したいと、我々の企画に賛同頂けた。まずは可愛く和のテイストで赤ちゃんをイメージした試作品を作るから…とO氏から約束頂き、試作品の完成を待った。暫くして、O氏から試作品が完成したとの連絡を受けて、我々は直ぐに瀬戸市にすっ飛んだ。5〜6体の作品が提示されたが、その中でも特に3体は、我々のイメージした純朴な和のテイストの素焼きの作品で、何とも言えない可愛さが有り、2人揃って一発で決定した。タイトルもつけて[小さな兄弟][馬上のベビー][ベビーと小鳥]の3体となった。どの作品も口を開けて、そこに乳歯をセットすれば完成する世界で一つしか無い[記念品]になる商品ができたのだ。そして、商品名は【はがわりくん】とした。

乳歯の脱落を記念して[名入れサービス]も企画して、他の乳歯も保管できるように、人形の台座を味わいある木製で作ることにしてみた。陶芸作家のO氏にその案を相談したら、北海道の旭川に優れた会社があると、旭川のS工芸を紹介頂けた。早速交渉してみたら、O氏の紹介なら間違いないとばかりS工芸のS社長から快諾頂き、試作品数点を出来上がり次第に送って貰った。

その試作品も無垢のナラ材で加工され、天然木独特の味わいのある高級感が漂っていた。一生の記念品として飾り、保管する以上それにふさわしい素材とデザインと機能でなければならない…と当初の予算をオーバーしたが、商品構成は人形と台座のセットで決定した

[次回に続く]

※会社と顧客とのトラブルを契機に、業界の展望が見えず辞表を携え、遂にA交易の退職に至る。社会に出て3年間、我武者羅に突っ走ってきた後、残す道は自の理想とする会社設立に向かって、起業するしか残されていなかった。そして秘かに温めていたアイデアに全てを賭けてみようと立ち上がったが…思わぬ縁が重なり、共同経営でスタートする船出となった。希望と不安を胸に大洋に向けていよいよ出航することになった…

おしらせと今月の予定

師走に入り今年も残すところ僅かになり時の流れの早さに驚きます。コロナが5類に分類されアフターコロナを模索中に、急激な円安、エネルギー価格の高騰に拍車をかけた物価高に国民が疲弊する中、世界ではウクライナ戦争の長期化に加え、中東のガザ地区は激しい戦火にまみれ緊張が続く予断を許さない状況です。地球規模での温暖化による異常気象は規模を増し、自然災害を前に立ち竦むしかないのが現実です。人類の非力を認め、謙虚に共生を模索し調和を目指す時かも知れません。新年を迎える前に、個々の一年を振り返り、希望に満ちた年を迎えたいものです。

今月の予定
○12/4日〜16日まで成績報告懇談会(小/中)
○21日〜1/8日迄冬期講習会を実施
○25/26日(冬季強化合宿)受験生は必修。非受験生や外部生徒の参加も可能。
○12/25日〜1/4日(休講)
○1/5日より新年授業開始!

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