header

アペックス便り12月号

◆前回のつづき  〜少年期の出逢い PartB〜

いよいよ受験も始まり、まずは併願する私立高校から口火を切った。五科の実力のみで判定される併願受験はあっという間に終わり、数日後に合格通知も得て、いよいよ公立受験に向け最終調整の矢先にまた事件は起こった。あろうことか、また私の変更した公立受験に、再度ストップがかかったのだ。理由は、内申点が他の受験生に比べ極端に低いのが原因で、特に副教科が最低評価でこれが致命的だということだった。

確かに副教科の授業は、ことごとくふざけて担当先生を困らせ、敵対視されて評価も低かったが、ここにきて未だ自分の足を引っ張るとは想定外だった。まさに自業自得だった。

流石に二度目となると、私も冷静になって受け入れたので、また暴れるのでは?と身構えた担任が拍子抜けした様子だった。内心では、梁先生と大学受験の計画で燃えている最中だったし、心は既に未来に向かって邁進していたので、どうでも良かったのが実情だった。受験直前での再変更に周囲は驚いたが、結局私は学区二番手の高校を受験し、難なく合格を得た。

高校受験だけは制度も熟知して対応せねばならないことを痛感しながら、紆余曲折を経て、どうにか新たに高校生活を迎えることになった。自分の経験が逆に我が教室の生徒指導で活かされていることを鑑みれば、結果私の高校受験は良かったのかも知れない。社会の枠組みや制度も含め、それを上手く取り入れ活かすも殺すも正確な情報次第という現実を直視するならば、子供の能力に応じた可能性への導きがいかに大切かと痛感した経験である。

この経験だけは、日々我が教室の親たちには伝えるようにしている。教育で子供の人格を無視した過度な干渉は無意味だが、無関心や放置は、ある種の虐待にも成り兼ねない。子供自身が自分で考え行動し悩み、紆余曲折を経験しながら成長すれば良いのだが、親はじめ周囲が可能な限りの正しき導きを怠らず、子供たちに自身で考え判断するチャンスを与え、打たれ強くもなりながら自分で行動できたなら、それ相応の果実は絶対に得られるはずだ。

可能性を信じ、未来を夢見て歩むことが尊いのであり、結果も大切だが、そこに至る過程に学びの本質が宿っていると思う。成長を続ける限り、夢の航海を続ける限り、正に『人間万事塞翁が馬』の如く考え、人生に期待しながらその意味、意義を見出す為に歩みを止めなければ良いのだ。

そして、いろんな出会いが人生に彩を添えてくれるので、その意味で私の高校進学までの三人の恩師は、感謝しきれないぐらいの宝である。日本社会へのチャレンジを勧めてくれた小学生の恩師と、落ちこぼれる寸前の私を蘇生してくれた中学の理科の恩師と、高校二年まで私の人生の指針を与えてくれた恩師の梁先生との出会いは、思春期の私にどれだけ影響を与えたかは計り知れない。しかし、どんな出逢いも必ず別れがくる。『一期一会』の人生の彩の出逢いが、特に梁先生との衝撃的な突然の別れが、その後の私に多大な影響を与えるとは、高校入学した頃には前途洋々と希望に燃えていたので全く想像さえできなかった。

●高校時代…様々な出逢いと別れ

新しく高校生活を迎え希望に夢膨らせると同時に、身体から溢れるエネルギーを持て余すぐらいに、高校時代は飛躍的に成長する大切な時期である。更に、描く夢を具体的に胸に刻みそれに向かって邁進する歩みは、精神的な安定をも齎し、正に心身一体となる成長の黄金期だと思う。その意味で、周囲の学ぶ環境は大切だ。わが母校は、毎年の現役国公立大学合格者として100人前後を輩出していたが、旧帝大や医学部合格者は10人前後の実績で大半は国公立一期校か、受かっても、滑り止めの二期校志願の生徒が大半だった。自由闊達でクラブ活動も盛んで大半の生徒は何らかのクラブ活動に参加して、学校生活をエンジョイしていた。

高校時代の学業成績は大学受験に直結し、卒業生の進学実績が合格可能性のバロメーターとしての目安になるので、私の夢実現の条件は常時学年5番以内と自ら設定し、肝に銘じた。入学直後にクラス担任から入試成績が3番だったと教えてもらい、内心『まだ上に二人も居るのか?』と焦った。二度も志望校を変更し最終に受験した我が校は、入試本番直前の変更だったので、実態も場所も内容も全く知らなかったぐらい私としてはかなりのランク下げで臨んだ受験だったのに…と軽く自尊心が傷ついた記憶がある。今思えば、若い頃には未熟故の他愛のない夢想や瞑想は付き物で、青春時期は毎日が変幻自在だ。結果収まった所が分相応で、成長段階途中での持てる実力相応だったと思えば良い…。

実際に入学後すぐに感じたが、高校の雰囲気は開放的で全てが自己管理で自主的に任され、服装も私服で良かったし、完全自由な校風は規制や体制を嫌う自分には合っていたかも知れない。ただし、自己管理ができているうちは…の条件が付くことを断る必要が有るが。

学校生活に徐々に慣れてくるに従い、元来陽気でヤンチャな私は、本名で通う目立つ特典のお陰や、ガタイも態度もデカかったので凄く目立った様だ。人好きな私は、友達がどんどん出来きて、日増しに学校通いが楽しくて仕方なかった。容貌からくる威圧感も意識的にマイルド転換させ、中学デビューの際の敵愾心剥き出しの殺気立った雰囲気からの失敗や苦労をした学習経験はしっかり活かされ、自称『明るいヤンチャな元気な少年』をイメージして意気揚々としていた。しかし意に反して、周囲からは『なんちゅう激しいオモロいヤッチャ!』と評されていた様で、事あるごとに私の言動は爆笑を買っていたようだ。そんな調子で真面目タイプにも不良タイプにもオールラウンドに交流していたみたいだ…。[同窓会での証言による]

しかし、梁先生との約束もあり、医者になるという私の夢の航路は大きく舵を切ったばかりで、不退転の決意を新たに、自身にその証を示す必要が有った。入学直後から、ガタイもデカかった私にはクラブ勧誘が激しかったが、集団行動で他人から自分の時間の制約を受けるのは不本意だったので、クラブ活動に所属せずに敢えての帰宅部に徹した。

その代わり悩んだのが、小学校5年生から続けてきた [空手]をどうするかだ…。武道にすっかりのめり込み、小学時代に有段者になって各大会でも優勝や上位入賞の常連だった、ちょっとした自負もあり、かなり悩んだ。中学時代は身長180センチの80キロもあり、師範から指導員として大人の門下生への指導も任され信頼されていた。しかし指導員としての責任もあるから、思い切って師範に大学合格まで休むことを申し入れたら、師範は私の夢に快く賛同してくれ、大いに励ましてくれた。

後述すると思うが、師範は私の武道を通じて『道』なる世界観を、大好きな武道で教わった私の恩師だ。道統少林寺流空手道錬心舘の天王寺支部長をされていた松前圭一師範は、関西本部盛隆期の立役者で、門下生は師を慕って集まった猛者と優秀な門下生ばかりの厳しい道場だった。私は小学5年の出逢いから、将来を見込まれたのか大人顔負けにシゴカれ、鍛えられたお陰で、小学時代の有段者から中学時代には二段の指導員資格を与えられ、空手道に心酔し稽古に励んだ。

自分の稽古に加え大人の後輩指導にも精も出し、毎日通い詰めた大好きな空手道場での空間であった。神社の境内が道場だったので、日の落ちかけた夕暮れに、早々に境内を丁寧に清掃し整え、石畳や砂利に、道場生が怪我せぬように丹念にチェックし、組手や型での練習の妨げにならぬように、黙々と練習前に心落ち着かせ、稽古に入るまでの真剣な準備と過程が物凄く心に響き、精神を研ぎ澄ます静寂の時間が大好きだった。毎日石畳に正座し、黙想しながら自身に問い、宗家訓の言霊を魂に吹き込んだ。『一臓一腑の麻痺は、直ちにその生命に関わることを念慮し、心修を以って秘拳を磨き、たとえ一撃二撃を受くると雖(いえど)も莞爾(かんじ)として泰然自若(たいぜんじじゃく)たれ』と反芻し自然(じねん)しながら昇華する極みは『武士道』に通じていくのだろうか…、自身の内なる弱さや甘えを無の世界まで払い落とし込む、私の修行の神聖な手続きだった。

古来日本には、柔道、剣道、空手道、合気道、弓道、茶道、華道、書道、等と、様々な『道』なる世界が有るが、どれもが精神的な『道』なる世界を誘い奥深くまで導くので、無限な広がりを感じる異空間にのめり込む感じではなかろうか。

しかし、自分を追い込む為か不退転の決意で臨む医師志願の時間管理の障壁になる材料を、特に大好きな空手を目標達成まで自ら断ち切るという証を自身に示せた私は、最大限に自分に言い訳が出来ない環境づくりに努めた。

梁先生は、週に一回のペースで私との珠玉の時間を齎してくれたが、その緊張感のある楽しい時間を維持するためには、何よりも先生からの期待と信頼を得なければならないと、自ら鞭打つ自学自習で、定期的に訪れてくれた梁先生に、毎回の進捗内容を報告する時が、一番緊張した。数学や英語は夏休み前に高Tレベルを終えようかという進度に自分では満足していたが、先生曰く、分かるならどんどん進んで構わないよ、って全く驚きもせず淡々としていたので、褒められることもなく拍子抜けの私に、先生は常日頃考えることが一番大切だと説き、考えた先にまた疑問が生まれたら更に考えることだと…。堂々巡りの考えも、違う角度から考えれば突破するから、多面体で有機的な思考回路の訓練は日常の細部による観察も大切で全てに好奇心と感性のアンテナを張る様に努めなさい…と説く。

実際に私の質問にも、先ずバードビューで全体を俯瞰させ、私が急所に気付くと一気に概念と理論を融合させるのが凄かった。疑問に至るポイントの、解決への糸口を決して教えずに考えさせ、自分なりのイメージが出来上がるまで更にとことん考えることで、疑問の周辺を俯瞰する時間が一番楽しかったかも知れない。

直接関連しない波及質問へと話が脱線することも多々あり、ワクワクと脱線する話にも最後には目的地に到達するから、学びの喜びは増すばかりだ。先生は先生で、自分の研究に勤しみながら、私が母から譲り受けた蔵書も含め、所狭しと囲まれた本棚から本を引っ張り出しては片っ端から読んでいくのだが、そのスピードの速い事には驚いた。一回の指導で寄るときに、二冊ぐらい読んで帰ることもザラだったので、私は帰った後で、こっそりと先生の読んだ本を紐解くのだが、とてもじゃないが数時間で読み切る内容では無い。母も愛読していたボーボワールやソルジェニーツィンを一気に読んでいたのを記憶するが、先生がふと呟いた『君のお母さんは、昔から本ばかり読んでいた姿しか記憶がないぐらい文学少女の印象でしたが、本好きなお母さんで良かったね』と言われたのが印象深くとても嬉しかった。『生活するのも大変だったろうに、お母さんの生きがいや趣味の世界が蔵書から伺えるね』とも付け加えて言った。そんな梁先生の一言も有ったので、私なりに母から譲り受けた蔵書も暇を見つけては読んでみた。小中時代に日本の純文学は割と読んでいたが、海外の作家は馴染みが無くジャンルを広げるのに良い契機になった。李恢成や金達寿や梁石日の作品などにも触れ、在日の一世達の苦悩やもがきの血肉も垣間見え、私の多感な少年期の感性を揺さぶっただろうに違いない。書での出逢いは人生でも大きい。古今東西の出逢いを無限に与えてくれ、共有できる世界は掛け替えのない素晴らしい世界だ。

高校生活にもすっかり慣れ親しみ、身辺の環境も自分なりに整え、いよいよ一学期を総括する学期末テストを控え、内心秘かに燃えていた頃になっていた。[次号につづく]

※私の航海は、紆余曲折をしながらもいろんな人の支えで何とか内海から大海目指してゆっくりと進みだした。特に高校時代の親友との出逢いや、人生の師の出逢いは大きい。大いなる希望と大志を抱いて未だ見ぬ夢大陸へと、突き進む…。そして、大いなる挫折と立ちはだかる壁を前に、立ち竦む日々…。絶望と希望が交錯しながら、葛藤と苦悩の時間の中でもがき苦しんでいく…。

おしらせと今月の予定

※冬季強化合宿& 冬期講習の案内一年の締めくくりを充実させ来年に繋げよう!
◎冬季強化合宿…12月26〜27日[2日間]
※受験生必修の直前特訓&他学年は個別特訓!!
◎冬期講習…12/22〜1/6までの期間内
※受験生は必修の直前講座です。非受験生はテーマ設定自由の個別指導です。
●毎年好評のアペックスの人気イベントです!
※外部の参加者も大歓迎ですので参加者はお問合せ下さい。

今月の予定
○12/12〜24…成績懇談会
○12/24日年内最終授業
○12/22〜冬期講習開始
○12/26〜27冬季強化合宿
※新年の授業は1/4開始

アペックス便り バックナンバー