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アペックス便り7月号

●〜この世に生まれたことが奇跡。命ある限り、夢は絶対に諦めない!〜[vol.2]

◆[生命とは何か]…ポール.ナース著『W hat Is L ife?』

入院中は有り余る時間の中で、恰好の読書タイムを得られた。わが身の疾患の影響ではないが、以前購入後に読まずじまいのままのポール・ナース著の『W hat is L ife』は、一気に読めて感銘できた、読み応えのある一冊だ。ノーベル生理学、医学賞とW 受賞された生物学の世界における巨人と言われる氏の、初めての「本」の出版というから驚いた。訳者の竹内薫氏も推論するように、ポール.ナースは次世代の為、人類が悲惨な状態に陥らないために、生涯で一冊の一般向け科学書をかいたのではないか、というぐらい壮大な物語を書き記した。

我々生物は、地球上のありとあらゆる生命の本質的な繋がりと、相互依存の深さだけでなく、共通の進化のルーツを通して遺伝的に親戚であることによってもたらされ、あらゆる地球上の生命は一つの生態系に属していることに視界を広げさせてくれる。しかもなんと、今日地球上にある生命の始まりは「たった一回だけ」だったのだ。地球上の生き物の誕生が、35億年の歴史でたった一度だけ起こった「奇跡」であり、我々生き物はすべてが他の生き物に依存しつつ自然淘汰で進化し、自らを律する物理的存在であることに変わりがない形態で、あまねく相互に繋がる親戚といえる。生命は寿命が限られ、環境変化に適応する能力にも限界がある。「自然淘汰」の出番が、ここにあり、古い体制を一掃し、もっとふさわしい変異型が存在すれば、新しい世代に道を譲る。

どうやら、死があるからこそ生命があるらしい…。

この「自然淘汰」という無慈悲な選別プロセスは、多くの予期せぬものも創り出した。最も並外れたものの一つが、人間の脳といえる。自らの存在に「気づいて」いる生き物は他に見当たらない。ポール.ナースは、我々人間が持つ「自意識の心」は、少なくともある部分、世界の変化に合わせて行動する自由裁量のために進化したに違いないと推論する。我々は、蝶や他の動物と違って、やりたいことをじっくり検討し、意図的に選ぶことのできる唯一の生き物なのだ。全地球上のありとあらゆる生命体の中で、人間に課せられた責務は重要と、ポール.ナースは提唱する。感染症の細菌から、発酵している酵母や、這いまわるミミズから、森を彷徨うゴリラまで、我々生き物は、生存競争を生き抜いた偉大な同志だ。細胞分裂という途切れのない鎖を遡り、最古の果てへと繋がる計り知れないほど広大な、たった一つの家系の子孫たちなのだ…と。

生命を慈しむ氏の締めくくりは、「生きているとはどういうことか?」「命とは何だろう?」と自我の枠組みを超えて考えさせられる。これは私にとって意義深かったし良かったと思う。要は、この地球上で、生まれたことが奇跡であり、生命の伝承に関われた喜び、すなわち、人間として「自意識」の心を持ちながら、生命を使い切った先へ、次世代へのバトンを伝承できる『人生』(人に生まれ、人として生きた=生命体)に素直に感謝したいと思う。わが人生を全う、満喫できたかに集約できるかは、自分なりに答えをだす責務が有る、と考えると良いだろう。それこそ、「存在」意義を自分なりに解釈できれば、本望だろうし、人生の総締めと言って良いほどの大きなテーマでもある。

果たして、私は自らの生を全うし、満喫し得ることができたのだろうか?

自らの生の存在意義を見出せたのだろうか?究極を言えば、人は死ぬために生きる。そのプロセスは、生きざまに集約され、人は死ねば無に帰し、生きざまだけが、微かな記憶となって人の心に留まるだけだ。記憶に、善悪の区別は無く、また血縁の遠近に関わらず、存在意義は、記憶の中で増幅もすれば、途絶えることもあろう。

地球上で無数の輪廻転生のサイクルの一環としての生の役割は、進化の一端を担った意味で果たしたとしても、存在意義を自ら検証し、気付ける人は稀有なのかも知れない。わが人生に迷いなし、そして後悔なく全うできた、と言い切ることに意義はあるのか…。

人生模様には、いろんな縦糸、横糸が絡み合い、壮大な模様を描くための節目や出逢いが存在するが、さらに宿命、運命、天命の要素の認識如何によれば、模様そのものが大きく変わると、信じる私がある。

(若さ)は前だけを見据え、振り返る機会が少ない。猪突猛進の如く、突っ走ってきた自身を振り返ると未来永劫に(命)が続くかの如く前(未来)だけを夢見てきた感がある紡ぐ糸が無尽蔵に有るかのように縦横無尽に紡いで来て、今日の人生模様ができているのは事実だ。人生模様は、過ぎ去った時間軸を戻せないのと同様に、紡いだ糸を解くことは出来ない。常に今ある状況からデザインし構成し、紡いで初めてうっすら模様が出来ていく、たった一度限りの真剣勝負だ。齢、還暦も過ぎて孫に囲まれるこの頃になれば、(命)の紡ぐ糸に限りも見えて初めて、わが生の検証をしても良いのではないかと、この機に振り返りながら、自身の人生模様を完成させたいと思う。

◆宿命を甘受し、運命を制御し、天命に気付き…使命に燃える

いろいろと解釈は出来ようが、読んで字の如く[宿命]は(宿る命)と捉え、生まれる前から定められた変えることのできない(定められた命)と言え、前世を反映したものとされる。人の一生に定められた変えようのない運命と位置付ければ、生まれた時代や、国家、場所、性別、肉体などは、受け入れざるを得ないものの影響は計り知れない。ただし、受け入れ方が肝要で、できることなら全てを甘受して、ありのまま受け入れるのと、そうでないのとでは天地の開きになるような気がする。

自分で変えようのない(宿命)に抗い、憂い、エネルギーを奪われるぐらい無意味はないと思う。何人も、自己の人生には何らかの宿命に位置付けられ、宿命を抱き合わせての人生であることを自覚すべきである。自力本願で生きる最低限の自覚と言えよう。

次に[運命]は字の如く(運ばれる命、命の運び方)と解釈すれば、生まれた時からの死ぬまでの(運命)は、変えることができる。出逢いは正に(運命)に作用する触媒そのものといって過言でない。

自分の在り方、生き方、心の持ち方如何によって、出逢いはいろんな変化をもたらし、人生そのものを変えることになるから、できれば自分の意思で命運の主体になりたいものだ。(運命)には様々な選択肢があり、日々変化し移ろい留まることはない。出逢いで人生は変わるのだ。良きにせよ悪しきにせよ、自分の在り方や生き方に反映される[引力の法則]には、着目すべきである。類は類を呼ぶごとく、お互いに引き合うのが[出逢いの引力の法則]だ。

出逢いは、人に限った事ではない。書物、経験、も含め、積極果敢に出逢いを求めて、白紙の未来のキャンバスに彩を添えていきたいものだ。誰しもが振り返った時に一度や二度は感じる[運命的な出逢い]は、言うなれば[自ら求めた、引き寄せた命運]と解釈すれば良い。

運命は、自ら制御できる自在変化の命であり、なるべくしてならないから、人生は面白いのだ。思い通りに人生を運ぶことのできる人は稀であり、避けられない命運をどう解釈して歩むかで運命は大きく変わる。順境を感謝し、逆境はむしろ楽しむぐらいの人生観を持ち合わせたいものだ。

出逢いが運命の変化をもたらした契機であったことは、振り返って初めて気づくことで、運命的な出逢いと感謝できる。自力本願で人生を切り開く際に、人生観の根幹をどう考え、生き方の道筋に、どう理想を重ね、信念を持って邁進できる生き方を貫く契機に「出逢い」が存在する。

経験的に言えば、「あの時の出逢いから、すべて変わった」や「今思えば、このようになる運命だった」と感じる[出逢い]は、全て『逆境』での出逢いのほうが多かった。まさに『捨てる神あれば、拾う神有り』のように、逆境での命運の運び方は本当に大事だ。「孤立無援」、「次々と起こる災難」、「どうすることも出来ない状況に陥り、最後は笑いさえ出てくる無力感を味わい、開き直って脱した壁」など、逆境は自身が試されている[試金石]であり、[成長]のチャンスだから、むしろ積極的に楽しむことだ。『絶対に諦めない』という生き方が、やがて『明けない夜はない』薄日を照らし、周囲が見渡せる明るさになった時に、嘘のように世界が開け、まるで別世界に立ち、夢に近づく更なる一歩を大きく踏めたことが、幾度となく有った。

『夢』が途切れるぐらいなら死んだのも同然とばかり、諦めない努力と信念は大きな『出逢い』を呼び込む。『夢いっぱい感じるままに…』と行動することが肝要で、『感性』が大きなエネルギーを呼び起こすのだ。地中深く眠るマグマのように『感性の爆発』が地表に噴出したときのエネルギーは、振り返ってみても、『よくあんなことができたなー』とか、『奇跡的な出逢いだった』の記憶しか無いぐらいだ。

いつしか『俺は最強の運が有る』と自己肯定を高め、『どんな困難も、不可能も必ず突破でき、決して諦めない』と、生き方のエネルギーの根幹を育くむ原動力は、『感性』だ。『理性』は必要だが、ここ一番は『出来ない言い訳』を並べる負のエネルギーに成りかねず、また自己保全のために、自分の夢の諦めを正当化する為の『頭でっかち』で終わり、行動を委縮させ結局、新展開に至らないケースが大半だ。最後は、『やってみなくちゃ判らない』と大胆にも行動することで、新境地へと導かれた場合が大半だった。

行動基準は、日ごろの生き方や考え方が大切で、私の場合、幼少の頃から身に沁みついた価値観が大きい影響を与えたことは、『宿命』と『運命』を照らし合わせて、また後述したいと思う。[天命]とは、天から与えられる命と解釈するならば、「天が命じた命」にまで気付く人生が、最高の人生かも知れない。天との約束は、ある意味[神との約束]とも言え、一生懸けてやり遂げなければならない命の使い方であり、与えられた役割であると言えよう。天命に従い、「利他に生きる」至福の人生は、そう簡単に気付き、導かれるものではないが、存在意義を周りから充足させて戴ける[使命]感にまで昇華させる[命の使い方]=[使命]を知って燃えて生きる生き方と言える。『天命』に気付くために不可欠なのが『夢』だ。『自分のあるべき姿』を確固たる[理想像]に重ねてみたい。『使命』は究極『天命を守るために使う命』ですから、この世に誕生してから生きている間に、この命をどのように使うかに集約される。

要は、人は、それぞれの『宿命』=(ありのままの姿)の下で生まれ、それぞれの『運命』=(シナリオ)を制御しながら、それぞれの『天命』=(あるべき姿)に近づきながら、一生を懸けて、『使命』=(ミッション)を自分に与え、課し続けることになる。

人生ドラマを壮大にさせるにも、人生模様を華麗に美しい彩でデザインするにも、それぞれの『人生の命』のマネジメント次第で大きく変わるということだ。したがって、人生は、自分らしい生き様を模索しながら、自分らしく輝ける天命まで昇華できるように、夢を絶対に諦めない『一度きりの旅』だと思ってはいかがだろうか。出来れば、『旅』は思いっきり壮大で、でかい『白地図』と手製の『羅針盤』を片手に、旅立つべきだ。固定概念や、既知の情報は一切無視して、夢(理想)に従って(感性)で突き進み、運命を制御しながら、『オンリーワンの地図』に仕上げて完成させたいものだ。

大航海時代に、人類未踏の冒険の航海が無ければ、今日の近代化社会は無かっただろう。大海原を前に、一歩踏み出す勇気は、『羅針盤』と駆り立てる『夢』だけかも知れない。もちろん、リスクを恐れないための根拠に、お手製の『羅針盤』は、自身の綿密な経験値やデータによる制御された命運も加味されるので、この世に同じものは無いオリジナル羅針盤だ。

後は、『夢大陸』を信じて、絶対に到達するまで諦めない『信念』だ。白地図が未完で終わるか、完成された地図に仕上がるかは、この人生航路の旅に立つそれぞれの人生の捉え方次第なのだ。辿り着いた航路の果てが、無人島か大陸かは、当てもなく彷徨う挙句に無人島に漂着したかも知れないし、全ての宿命から運命まで、シナリオに描き、命運を制御しながら大陸に到達できたのかも知れない。要は、結果は、出航前に大半が決まり、その過程で真価が問われた結果だったのかも知れない。自分らしい人生は、自分の夢大陸を描くことから始めたい。現状の社会や、環境に不満や不平を並べても変化は起きない。他力本願で生きることを捨てて自力本願で社会や環境を変えれば良いのだ。現状の不満をエネルギーに変換すれば良いのだ。

※次回は、自身の記憶を頼り、誕生の宿命を整理しながら、幼少から思春期までの宿命を甘受し、自分なりに運命を制御しながら社会に出るまでの挫折と紆余曲折の連続と、それぞれの逆境の中で出逢えた人や、書や体験が、その後に私の夢大陸発見の為の出航を決意させた道筋を、自分なりに検証しながら振り返ってみたい…。

【次回につづく】

おしらせと今月の予定

※6月28/29/30日は休講です。【年間調整日】
※7/4日〜1学期の成績を中心に成績報告懇談を実施致します。[対象…小学/中学非受験学年]
◎7/19〜8/24…夏期講習会の実施[小6/中3の受験学年は必修参加]
◎8/11〜13の3日間[夏季特別強化合宿]を実施します。参加者受付け中!![小6/中3の受験学年は必修参加]
※講習会、合宿共に外部生徒も参加できます。積極的なお友達に紹介してね…!

今月の予定
●6/28/29/30日(休講)年間調整日
○7/19日…夏期講習開始[7/19日〜8/24までの期間]
○7/4日〜18日の期間内 成績報告懇談会(小/中)
◆夏期講習会/夏季合宿への参加受付け中です!!

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