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アペックス便り5月号

◆前回のつづき  〜大学受験と2度の挫折〜Part3

●不安と焦りと喪失感の日々…そして絶望へ

毎年、受験生を指導しながら一年の早さには驚くばかりだが、思い返せば若き日々の一年はとてつもなく長い。兎に角一日の長さに閉口するぐらいに、単調な浪人生活がスタートした。

午前、午後、夜と時間帯にリズムをつけて、先ずは勉強時間の絶対数確保を最優先して、12時間/日は学習義務時間と自分に課した。規則正しい生活が全ての基本になるが、体力を持て余す若い時期だけに、部屋に籠って学習するだけでは全く疲労しないから困ってしまう。適度な運動や適度なリラックスもしないと十分な睡眠も得られず、すぐに夜更かし型の朝寝坊パターンの無茶苦茶なリズムになり、メリハリの無い自堕落な時間管理に陥ってしまう。

それに、自分と向き合う…と言えば聞こえは良いが、一年の長きに渡る自宅浪人は他者とのコミュニケーション不足による独り善がりに陥りやすい。外の情報が入らない分マイペースは維持できても、そのペース配分そのものが間違っていたら、取り返しがつかない。

進捗状況も常に自己分析に頼る他に術が無く、客観的判断が曖昧になり易い…などの欠点を、自宅浪人を経験して初めて気付いた。

人には、所属欲求や承認欲求を満たしたい何かしらの欲望があるが、自宅浪人にはそれが不可能だ。更に、合格保証が無いが故に再度の不合格なんて想像しようものなら、その不安と恐怖心から絶望的な心理状態になり、私は何度も悪夢に襲われた。

浪人の語源は、本来は戸籍を離れた浮浪人だし、主君を離れて禄を失った武士態でもあり、法的身分は百姓、町人と変わらず、名字帯刀を許された名ばかりの武士の体裁のみの存在にしかすぎないのだ。そのような、武士は食わねど高楊枝…の生活が、この先もずっと続くかと思うと神経衰弱に陥りかねない。

更に次々と襲ってくる不安要素は、[絶対合格]のプレッシャーに屈し、志望校変更や受験逃避にまで進展しかねない。元来呑気な私も、自宅に籠りながら気が付けば夏も過ぎて秋風の吹く頃になり、にわかに焦りだしてきた。

あろうことか、夏の終わりに試した模擬試験の判定が思ったほど振るわなかったのが一因だった。現役の頃より全般的に成績は上昇したが、こと国立大学医学部医学科の壁の厚さは半端ではなかった。旧帝大の他学部なら合格可能圏判定が出ても、医学科ならまだまだ努力圏判定だ。凄ましいぐらいに、受験者層の次元が全く違っていた。

後述すると思うが、受験や就職や人生の節目には色々な分岐点がある。しかし大半の勝負は[情報の質と量]で決定づけられ、戦う以前に決まることが多いのも事実だ。もちろん、能力や才能や努力といった要素も大切だが、そのような資質を可能な限り活かし、発揮させ、成功チャンスを生み出すためにも、情報収集の優劣は重要だ。勘や経験だけを頼りに手探りで突き進んでも、埒が明かないことも有るのが情報の差だ。

『知らぬが仏』では済まされない程圧倒的に差が拡大する起因は、大概は質の高い情報の有無だ。ゴミみたいな情報に振り回されず、多方の領域で情報に価値を見出す能力と取得できる経済力が有れば、相当優位に戦えるのが実際だ。今日の教育格差は経済格差に起因すると揶揄されているが、根幹は情報格差による優勝劣敗の結果というのが、否めない事実だと思う。そして実際、情報に一番おカネもかかるのだ。情報の質におカネを投じられるか否かを、人生の成功要因にするのは心もとないが…。

家庭の経済的危機から、自宅浪人を選択せざるを得なかった私の現実は、同じ浪人の時間を費やしても、予備校で対価を支払って高度に得た情報を武器に戦う目に見えないライバル達を相手に、後手を取り続け更にその事にさえ気付かずに我武者羅に戦っていたのだ。餅は餅屋、プロは情報を売って食っているのが世の常だ。専門的に受験を売り物にする大手予備校の実施する[模試]そのものが情報の集積である事実に気付いても、自分の置かれた環境で、独力で精一杯戦うしか術は無かった。たとえ模試結果が「努力圏」であっても、安易に他学部の「可能圏」への目標転換は、当時の私にとっては人生の敗北にしか過ぎず、不退転の決意を拠り所として、ブレることなく医学部受験だけを目指し、一人勉強に精をだした。

木枯らしも吹き始め、いよいよ受験が迫り緊迫した日々が続いた。出願に必要な書類を母校へ取りに行くのは気が引けたが、久しぶりに会った旧担任先生から檄を飛ばされ身が引き締まった。私の医学部医学科への再度の挑戦に、担任は労ってくれたが、却って期待に応えねば…の重圧が増した。現役の時と同様、受験大学は絞り込んで国立一期校と二期校のみの二校を受験予定にした。どうしても得意分野にすることが出来なかった[古文]を外し、『国語』を[現国]のみで受験可能な国立大学には限りがあり、高校時代に古文を疎かにしたことを悔やんだ。

何とか最終の模試の結果で[再検討]を脱して[可能圏]にまで入れたことを最大の支えに、持てる時間は全て受験学習に費やした。もう後がない、という重圧が日増しに高まり、ついに浪人後の受験を迎えた。

受験前日に試験会場近くの旅館に到着した頃には、緊張感はピークに達していた。個室なんて経費を掛けられずに大部屋での相部屋で泊まった旅館は、偶々受験大学からも近くて[医学部受験専用旅館]だった故に全国からの医学部受験生が集っていた。どこにでもノリの軽いお調子者は居るもので、そんな彼がきつめの方言で相部屋メンバーに話し掛けまくり、緊張した雰囲気を打ち破って場を和ましてくれたので、即席で集った医学部受験集団は他愛もない会話で盛り上がった。なんと二浪、三浪も普通に混じっていたので、そうと分かると急に敬語にスイッチする者もいて、和気あいあいとリラックスできた時間を過ごした。そして翌日、ついに入試の口火は切って落とされた。

初日の鬼門であった理科を、何とか乗り越えて、他教科は自分でも驚くぐらい冷静に捌けて、手応えを十分に感じて旅館に戻った。流石に受験開始の最中だから、暗黙の了解で各自は黙々とノートや参考書に目をやりながら、緊張感を維持している様子だった。翌日最終日の中心は数学で、そして最終科目に得意とする現国を控えていた。気休めで前日に猛勉強しても意味も無いので、私はいつものようにポケットに忍ばせていた『考えるヒント』(小林秀雄著)を読み返していた。高校時代にハマった愛読書で、私の(哲学するオカズ)としてバイブルのように持ち歩いていたので、いつものようにリラックスしながら一読し、翌日の最終決戦に静かに闘志を燃やしていた。

当時の国公立大学受験は二回の受験チャンスが有り、旧帝大を初めとする一期校と地方国立大学を中心に構成された二期校のグループに分かれて実施していた。入試問題は各大学が独自に出題する筆記試験のみで、まさに一発勝負だった。

年々加熱する受験地獄の弊害が叫ばれ、父親を金属バットで殴り殺す悲惨な事件などが起こった社会の様相も手伝って、翌年には一発勝負を緩和する狙いの共通一次テストの初めての実施を控えた(受験過渡期)の年だった。入試新制度元年の受験だけは避けようとする水面下の動きはあったものの、こと医学部に関しては例年通りの激烈な競争を突破しなければならないことに変わりはなかった。とりわけ二期校の医学部の平均倍率は、軽く20倍を超えて30倍越えの国公立大学も珍しくなかった。

どの受験生も願わくば最初の一期校で決めたい…のが実情で、当然ながら私もあと残す1日の試験を前に全神経を集中させていた。なかなか寝付けず、浅い眠りを繰り返しながら翌朝を迎えていた。深い睡眠が取れなかった眠気よりも、奮い立つ緊張感が相まって何度も武者震いをしながら試験会場に向かった。

会場に着き指定された席に着座すると、大学の広い講義室での静粛しきった空気が更なる緊張感を呼び起こす。「この一年の孤独な苦悩と思いをこの日に晴らすのだ…」と、数学の試験時間はフル回転でビッシリと答案用紙を埋めて、過去問以上の手応えと満足感を得て終えた。数学終了後に泣き出す受験生がいたのが印象的だったが、専ら私は残す(現国)に全神経を集中していた。

最終科目の現国の問題用紙が配られ、試験官の「始め!」の合図と共に一斉に問題用紙を開く雑音も鳴り止み、静寂が戻った。

問題文に目をやりながら我が目を疑った。延々と文章が網羅された問題文のフレーズが、どれを見ても覚えのある文章だった。なんと、私の愛読書の『考えるヒント』の原文が延々と綴られているではないか…!昨夜も読んでいた、あの小林秀雄の『考えるヒント』がそのまま掲載されているのである。出題は、原文の段落がバラバラにされてあり、確か10個の段落を整序させて完成させるという質問のみであった。私は、はやる気持ちを抑えながら内心「よっしゃ」と思っていたが、見慣れた文を読むにつれ、次第に高揚感が消え去り徐々に焦り始めていた。小林秀雄の巧みに構成された文章は隙間なく緻密に読み手に語りかけ、悟らせ、共鳴させられ納得し感心するのだが、普段の読書と違い、全ての段落を整序させて一貫した脈絡に完成させることが、いかに大変な作業か、と痛感した。なにしろどの段落も各テーマの要旨で完結しているが故に、それこそどれを連結させても、それなりに纏まるから厄介である。寧ろこんな難解な問題を解答できる受験生っているのか?とヤケッパチな気分にもなりながら問題文を精読していた。

出題問題が特殊なだけに、一時間以上も試験会場は静寂の緊張が伝わるぐらい静まり、読書タイムとばかり鉛筆を走らせる音さえしない異空間になっている。

只ひたすらに皆が問題文を精読している異様な場になっていた。私は愛読書の一篇を思い出しながら、ひと段落ごとを解答用紙のマスに埋め文脈の整合性を確認しながら慎重に解答を完成させた。残り試験時間終了まで10分程残していたので、再度自分の解答の整合性を見直してみる。なにしろ満点かゼロ点のどちらかになる試験だ。

一つでも段落の整序が出来なければ完成しない奇問だった。初見で読んだ者はどんな驚きだっただろうか…。現国の配点は一番低く50点満点だったが、それでも1点を争う激戦の入学試験だから一切のミスは許されない。

今でもハッキリと覚えているのだが、答案の整序を見直しながらフッと魔が差したのか、なぜか5段落と6段落の整序が疑わしくなり、読み返す度に入れ替えが正解ではないか…と思えてきた。不思議なもので、一度疑念を持って問題文を読み返すと、増々そうじゃないかと思えてくる。残り時間は僅かに迫ってくる…。ペンを握る私の手から汗が滴ってくる。鼓動が高鳴り、異様な圧迫感が押し寄せてくる…。時間にして僅かだっただろうが、走馬灯のように一年間の苦闘が蘇る…『ここで、5段落と6段落を入れ替えるべきか…』『いや、最初の記入は確信を持って解答した筈だから誤答では無かろう…』『しかし、何度読み返しても入れ替えた方がすんなりと脈絡が合うような気がする…』気が付けば私の手は震えが止まらない状態になっていた。そして一瞬の間をおいて、私は消しゴムで元の解答を消し去り、サッと段落の入れ替えの訂正をした。

直ぐにそのあと、試験官の『止め』の合図が鳴り響き、ようやく二日間の試験の全てが終了した。

[次回に続く]

※長く孤独な自宅浪人を過ごし、自分なりにやり尽くした受験勉強の終止符を打つべく、意を決して再度の医学部受験に臨む…。緊迫する入試の一つ一つが鮮やかに蘇る…。今日の私の進学塾開設の原体験かも知れない…。1点差での泣き笑いは日常の世界だ。実力差か?運か?そこは微妙だ。しかし、公平な制度である入試を通じて[人生そのもの]を真剣に考え、夢を描き、悩み、決断する過程は、掛け替えの無い体験だ。受験過程の全てを含めて是とし、結果を受け入れ無ければならない。二度目の受験のその後は…。私の航海はさらに続く…

おしらせと今月の予定

春たけなわの中、新しく学校生活も始まりました。ゴールデンウィーク後のコロナ5類へ引き下げにより3年ぶりに日常が戻りつつ有ります。日々の生活を充実させる柱としての[目標]を具体化させて邁進していきましょう。

今月の予定
○4/26〜29は5月分授業の振り替え実施日です。
○5/1〜5/6は全休講日です。
※ご紹介キャンペーン5月まで実施中です!

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