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アペックス便り2月号

◆前回のつづき  〜少年期の出逢い PartD 〜

高校二年生のスタートは緩みがちな中、少し焦りを感じながらも楽しい日々は続いた。今でも親交がある友も、二年生のクラスでの出逢いだった。高い次元の夢を語り合いながら、切磋琢磨できたのは、後の人生航路の礎になったに違いない。邪心なく、崇高な気持ちで「憧れ」を持つことは本当に大切だ。同じ人間として、自分の中での「ヒーロー」の存在は果てしなく大きい。高校二年と言えば、17 歳だ。自我が出来始め、少年から青年へと脱皮過程での微妙な年齢だ。成長過程の中で自我の確立に果たす出逢いの影響は、その後の人生の歩みで、決定的になる事さえあると思う。その意味で、私がこの時期に出逢った三人の[ヒーロー]からは、途轍もなく大きな影響を受けたといっても過言ではない。一人はもちろん[梁先生]で、次は[モハメッド・アリ]だ。そして三人目は[アレックス・ヘイリー]との出逢いだ。彼らは私の精神的支柱の中心になり、青年期の数々の出逢いの因果となり、引力の働きを果たしてくれたと思う。彼らの生き様が自分の行動規範に与えた影響が大きいので、当然その後の私の、数々の経験の源泉にもなるからだ。

梁先生以外の二人とは、実際の面識は無く、書物や映像や映画での出逢いとなるが、後の私の思考回路に与えた影響は絶大だ。いわば、私の人生のメンターだ。特に、梁先生との突然の別れの後の消失感と自失の中で彷徨った私が、再び歩みを取る勇気を貰えた二人の黒人、[モハメッド・アリ]と[アレックス・ヘイリー]は、今なお私の魂に燃え続けている。実際に、アメリカまで彼らの由来の地を訪ねたぐらい、傾倒し尊敬して止まない黒人だ。

さて、私の医師への夢を後押ししてくれた梁先生との付き合いも1年半になろうとしていた。先生が研究活動の合間に来て頂ける、月に数度の家庭教師としての空間の共有は、私の未来の[可能の扉]としての門戸を無限に広げていく実感として胸に刻まれていった。しかし、梁先生との師弟関係はそう長くは続かなかった。梁先生は母の親戚との関係もあり、両親は丁重にもてなし、また敬意を払い、常々先生に感謝していた。

多忙で家族サービスも儘ならない梁先生を見兼ね、我が家が毎年お世話になっている兵庫県香住海岸の民宿を紹介し、夏休みの先生の家族サービスの一助として、両親が一泊二日の海水浴旅行をプレゼントしたのが、運命の糸をいたずらに縺れさせたのかもしれない。梁先生も久しぶりに家族で海水浴を楽しんでくる、と喜んで出かけた矢先に、信じ難い電話の一報が、我が家に飛び込んできたのだ。今でもハッキリと覚えているが、思い出すと胸が締め付けられる気分になり、吐きそうになる。夏休み最後のうだる暑さの残暑の厳しい昼下がりだった。電話口で悲痛な叫び声をあげた母の声が、異常事態を物語っていた。梁先生が、香住海岸で溺死したのだ。なんと、溺れかけた我が子を救おうと犠牲になったということだった。幸い先生の子供は助かったが、先生は帰らぬ人となったのだ。享年42歳の若さだった。しかも、悔やみきれないのが、我が家が旅行を提供しなければ、先生は事故に遭遇しなかったかもしれないのだ。この事故は私の脳裏から離れず、その後数か月は精神的支柱を失ったショックと、消失感と、余計な旅行の提供との因果に苛まれ、私は狼狽し、虚無感に襲われ、自分がみるみるうちに壊れそうになっていく恐怖に茫然自失としていた。昨日まで元気に会っていた人を突然失う経験も初めてだったが、あんなに前途有望で世界を駆け巡っていた先生ともう二度と会えないと思うだけで、胸が締め付けられてしまうのだ。そして、人生の儚さを無惨に見せ付けられた不条理に、打ちのめされそうになっていた。葬儀の後も、私は毎週のように納骨されたお寺に参り、先生の亡骸の前で座り込む日々が続いた。 「先生、なんで死んだのですか?」「これから僕はどうすれば良いのですか?」と問いかけても返事は無かった。人間死んだら終わり…と痛感した梁先生との突然の別れだった。

●キンシャサの奇跡

二学期が始まっても私の魂は抜け殻のような状態が続いていた。人生そのものの目的や生きる希望が見い出せなくなっていた。医者という明確な目標も、梁先生の後押しが無くなり、風前の灯のごとく立ち消えそうになっていた。梁先生との数々の会話が、耳にこだましては「これでは梁先生に顔向けできない…。先生に医学部合格の報告が出来なかったらどうするのだ!」と自分を鼓舞しても、空転するばかりの日々が続いた。

バイタリティー溢れる梁先生だっただけに、人の命の儚さだけが浮き彫りに脳裏に刻まれ、私の中の時間が止まった。そんな日々を過ごしながら秋も深まる頃、ビッグニュースが飛び込んできた。私が小学生の頃から尊敬し、憧れて止まないボクサーの[モハメッド・アリ]が、アフリカのザイールで、チャンピオンのジョージ・フォアマンと戦うというのだ。格闘好きな私は、ことボクシングと言えば、ヘビー級のタイトルマッチは外せない神聖なイベントであり、特にモハメッド・アリは、カシアス・クレイ時代からの熱狂的ファンだったので、このニュースに胸が高鳴った。当時の私はファンというより、アリ信者に近い状況だったかも知れない。彼のボクシングスタイルや強さも魅力だが、彼の哲学そのものと生き様にシビれ、尊敬して止まなかったのだ。

なにせ、彼はたった一人で冷戦と戦った男といっても良いぐらい、時代に翻弄されず、カネ、名誉、栄光の全てを捨ててでも、自分の信念に従って、ベトナム戦争への徴兵を拒否してチャンピオンベルトを剥奪された無敗のチャンピオンだったのだから。22歳で世紀の番狂わせと言われたソニー・リストン戦を予告通り倒し、リターンマッチも一瞬でK O 勝ちに収め、名実ともにチャンピオンロードを歩もうとしていた矢先に、アメリカ政府にベトナム戦争への批判と徴兵拒否で、全てを奪われてしまったのだ。世間や政府を相手に、堂々と一人で戦い、やがては反戦運動のシンボル的存在に昇華して、最後には最高裁判で勝訴して、ボクシング界に復帰し、再度チャンピオンに返り咲こうとタイトルマッチの権利を得て戦うというのだ。チャンピオン剥奪から3年7か月のブランクを経て、更に32歳の、さすがに全盛期を過ぎたアリの下馬評は芳しくなかったが、当時のチャンピオンのジョージ・フォアマンの圧倒的な強さがばかりが目立ち、私も内心「アリも万一に負ければ引退かな…」なんて不安になっていた。しかし、いよいよ決戦の10月30日は生涯決して忘れられない日になった。

当時のボクシング興行最高額でのアリV Sフォアマンのタイトルマッチは、ファイトマネーが破格すぎてアメリカでも成立せずに、アフリカのザイール共和国の独裁大統領を巻き込んで、ドン・キングによるプロモートでやっと成立したぐらいのビッグマッチだった。この日は学校を休み、私は一人衛星中継されるテレビの前で釘付けになり、手に汗握りながらパンチの応酬を繰り広げるたびに、絶叫しながらアリを応援し続けていた。ロープに追い詰められながら、フォアマンの強打を浴びるたびにアリは隙を伺うように身をかわし、カウンターを返し、フォアマンの強打をかわしていた。そして8 ラウンドになって、打ち疲れたフォアマンの一瞬の隙をみて、一瞬にして連打で顎を砕きフォアマンをマットに沈めたのだ。まるでスローモーションのように今でもこのダウンシーンは目に焼き付いている。私は歓喜の雄叫びをあげ、泣きながら家中を飛び回っていた。実に7年ぶりにアリがチャンピオンに返り咲いたのだ。感動と興奮が冷めやらぬまま、私は全身に鳥肌を立てながら、この瞬間に何かを感じたのだ。

「モハメッド・アリは世界を揺るがし世界をより良い方向へと変えた」そして、黒人差別の公民権運動の先駆けともなったアリの社会運動を称え「最も偉大な男だった。それ以外に表現のしようがない」と言わしめた。オバマ大統領が執務室近くの書斎にアリのソニー・リストン戦の写真を飾りアリのグローブを置き、アリへの追悼の言葉と共にツィートしたのは余りに有名だ。

[以下はローリングストーン誌からの引用部分…]

オバマ大統領はさらに続けた。「彼はかつてこう言った。“俺がアメリカだ。認めないかもしれないが俺は皆の味方だ。黒人で、自信家で、うぬぼれ屋の俺を受け入れてみろ。俺には俺の名前があり、宗教があり、目標がある。俺のやり方を受け入れろWと。私は成長するにつれ、アリの本来の姿を理解できるようになった。アリはリング上のファイターとしてだけでなく、世の中の正しいことのために闘った。彼は我々のために闘ったのだ」「彼は厳しい時代の中、キング牧師やネルソン・マンデラらと共に行動を起こし、誰も言い出せなかったことを代弁した。彼のリング外での闘いのせいでタイトルを剥奪され、世間的な立場を失ったこともあった。あらゆる方面に敵を作り罵られ、刑務所送りにされそうにすらなった。しかしアリは自分の信念を貫いた。そして、我々が生きる今の自由なアメリカは彼の貢献による所が大きい」民主党の大統領候補ヒラリー・クリントンと、その夫で元大統領のビル・クリントンも「アリのように美しく優雅で速く強いボクサーは二度と現れないだろう」との声明を出した。ビル・クリントンは大統領時代、ホワイトハウスでアリに大統領市民勲章を授与している。オバマ大統領は「アリは世界を揺るがし、世界をより良い方向へと変えた。ミシェルと私は彼の家族に深い哀悼の意を表すると共に偉大なるファイターの冥福を祈る」と追悼のコメントを締めくくった。

[以上ローリングストーン誌からの引用抜粋]

黒人初のアメリカ大統領になったオバマ大統領の心の師も、モハメッド・アリだったかもかも知れない。アリは信念の先駆者であり、自由の旗手なのである。私もマイノリティーとしてアリの勇気と生き様には、幼い頃から共鳴してきた。彼の勇気に心底憧れていた。差別されても「奴隷の名前のカシアス・クレイは捨ててモハメッド・アリに改名する」と最初に世界チャンピオンになった時に宣言し、黒人差別と闘い、反戦運動の先駆けとなり、自分のアイデンティティーを誇りに、信念を貫き、剥奪されたボクシングの全てを、アリは自分の力で再度すべてを取り戻したのだ。

このキンシャサの奇跡の一部始終を見届けた私は、万感の思いでアリの姿を、未来の自分に置き換えていた。アリは常日頃言っているではないか。「不可能なんてありえない」と。まさに有言実行するアリは、しかもそのスケールの大きさとやってのける偉業の数々から、私のヒーローになり、師となり、今日でもいろんな場面で私を奮い立たせてくれる。この春、私は10万人に5人の発症率の[多発性骨髄腫]と診断された時も、闘病を続ける今も、心にはモハメッド・アリの励ましが響く。アリも引退後は30年もパーキンソン病と闘ってなお社会運動も継続していたではないか…と。

『こんな時、もしアリだったらどうするだろうか?』と自問し、『やってみなくては分からない。不可能なんてありえない』とチャレンジし、困難を突破したことはこれまで数しれず経験した。有言実行する可能思考は、まさにアリ教の真髄だ。私はこのキンシャサの奇跡の日から、梁先生との死別を乗り越え、自我の確立への航路に大きく舵を切り帆を一杯に広げ、また大海原目掛けて航海を続けることができたのだ…。 [次回につづく]

※別れと出逢いが人生を深く彩り、運命を操っていく…。荒波も凪も順風も逆風も、航海するなら…当たり前だ

おしらせと今月の予定

※3月より新年度が開始します。入試最中の折ですが、来年度高校入試の説明会を2/25 [土曜]に北巽教室でPM6時から開催します。
新中3と保護者は必ず出席願います!!

今月の予定
○10日…私立高校入試
○11日進級説明会…対象中3
○13〜24日成績懇談会
●25日…高校入試説明会新中3対象
[北巽教室にて] PM6:00開始
○28日…本年度最終授業
3/1より新年度授業開始!

【合格速報】合格おめでとう!!
※O・Rさん●四天王寺中学●桃山学院中学
※O・Mさん●初芝立命館中学●大阪女学院中学
※K・Mさん●羽衣学園中学【特待生合格】

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