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アペックス便り1月号

新年明けましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。
昨年はロシアのウクライナ侵攻に始まり、習近平の異例の3期目政権や、台湾有事が危惧される中での極東の不安や、世界的インフレから円安不景気と、目まぐるしく地球規模での大転換を示唆する年でした。
今年は更なる変化に対応出来るよう、柔軟な発想としなやかな行動が求められるかも知れません。激動はまたチャンスなり!!

◆前回のつづき  〜少年期の出逢い PartC〜

二番手の高校だったせいか、学級の仲間は不揃いながらも尖った優秀生が点在していた。数学は抜群だけど、英語がからっきし駄目。主要科目は平均レベルだが、音楽、体育、美術はプロ並み。どう見てもペンなど持ったことも無かっただろうと見える不良スタイルで、喧嘩好きなヤンチャも点在していて、各クラスで覇権争いの下準備に勤しみながら、派閥構成を目論んでいる連中の中にもテスト結果に意外な結果を出す強者とか、とにかく個性豊かな集合体だった。一番に成れない二番手ばかりの連中の可能性は、寧ろ伸びシロを感じさせる余裕にも映って見えた。

当の私はクラブ在籍もせず、案外真面目を装いながらも目立っていたので、派閥争いには一定の距離を置きながら一匹狼に徹していた。だが空手の実績などの噂が広まっていたのか、どの派閥にも歓迎されていて、それなりに楽しんでいた。中学時代と打って変わって、滑り出しから心を全開放し、誰隔たり無く友人付き合いの交流を深めていた。ただ気になっていたのが、この高校で自分のような高い目標なり、将来への布石の展望を掲げる仲間が居るのかな、と同志を探していたところでもあった。

そんな頃、クラスに一人特に仲が良くなって、よく同じ時間を過ごすようになったN 君とは、その後卒業してからも長く付き合い、彼の結婚式の司会まで仰せ付かった親友だ。恰好はチビの割に、不良学ランで登校してイザというときは私を隠れ蓑にする要領の良い奴で、好対照な私との絶妙なアンバランスのやり取りが周囲に受けていたようだ。学年末テストで、クラスで唯一負けた数学は誰だろう、と思っていたら、数学の満点はそのN 君だった。

彼と急接近したのは、テスト終えた休み期間に、大手書店でバッタリ出くわしたことがきっかけだ。私が、大学受験の資料を探していたら、なんとN 君が、同様に情報本を探していたのだ。

『あれっ、何してんの?こんなところで?』

と聞きながら、彼の手元に目を投げると『医学部攻略ガイド』が有るではないか…。
驚いて、

『お前、まさかの医学部志願?』

と聞くや

『せやねん、お前は?』

と照れながらバツが悪そうに言い返したので

『俺もじゃ!医者になるねん!』

とぶちまけたのが、彼との深い付き合いになる契機になった。

同じ攻略本を買って、書店を出た後に数時間も喫茶店で夢を語り合って、お互いの合格を『涙の誓い』と称して、密かに学業に励み、エネルギーへと切磋琢磨できた親友だ。家庭環境も似ていたところがあり、家業の鉄鋼関係での厳しい父親や優しい母親とも、家族のように行き来した仲だった。N 君との交流はまた後述していくだろうが、多感な青春時期に引き寄せる出逢いは、引力の法則ならぬ類は友を呼ぶ如く、プラス波動を全開に夢を声高に妄想するぐらいが丁度よい。まさにクラーク博士の『少年よ、大志を抱け!』の意味通り夢は自分を喚起させるエネルギーに成り得るのだ。

●突然の別れと自失…そして受験

大志を語れる親友も得ながら、高校一年があっという間に過ぎ去った。あまりに楽しく高校生活を満喫していたので、青春ドラマのような毎日だった。今でもクラス会などの案内は、一年生のクラスが基軸になっているぐらい皆、仲が良い旧友達だ。

しかし、二年生に上がって、俗にいう(中弛み)のマンネリに早々に陥ってしまった。学業は一年時はそれなりに維持しながら、モチベーションも同志の親友と切磋琢磨しながら保持していたのだが、二年時になぜか同じ旧クラスメンバーから私一人が外され、全員が新しい級友で構成されたクラスに配属されていた。ある意味、新鮮で良かったのだが、内心では『少し面倒くさいな…』と思っていた。目立っていた私の存在は、外から持たれるイメージギャップを埋める為の私なりの努力を再度強いられるからだ。

私の中学デビューの苦いトラウマの解消の為には、過剰な自意識を善方向へ転換させる為の自助努力は不可欠であった。八方美人に振る舞う必要は無かったまでも、本名で通う在日の存在は、否応なしに私の中に無意識の緊張が常在していたからである。個性の前に「韓国人」フィルターが良くも悪くも付いて回る宿命だから、出来ればこのフィルターはプラスに転換させたい一心であったと思う。そんな自分の背負いこむ思いと裏腹に、新しいクラスでも直ぐに打ち解ける仲間が増えて、結局は、杞憂に過ぎなかったのだが…。

二年時での印象深い記憶に、現代国語の授業でのエピソードが思い出される。記憶によれば確か京大出身のリベラルな女性教諭の「現代国語」の時間は面白くて、私の好きな授業の一つであった。教科書から逸脱した彼女なりの視点からの[テーマ]を毎回プリントにしては持ち込んできて、生徒に難問、奇問を投げかけては、白熱した討論で盛り上がることの多かった授業だ。

ある時、例に漏れず配られたプリントを一読すると、タイトルは忘れたが、日本で差別を受けながら、貧しくも逞しく生きる在日韓国人母子家庭を描く内容だった。女性教諭は配り終えたプリントに課題を与え、我々に原稿用紙二枚以上の読後感想文を一週間後に提出するように、授業を締めくくった。授業中何度も目が合い、明らかに私を意識しての授業に違いないと私は確信し、課題を家に持ち帰った。

本名で在籍する珍しい目立った生徒のお手並み拝見とばかり、ニタッと私に笑みを投げた女性教諭の顔が忘れられず、私も腹を据え、何度も何度も課題のプリントを読み返した。

小学校時代の仲間たちの面々が思い出されるぐらい、私には異次元の差別でも何でも無く、現実の回想であったし、貧しさのレベルや逞しさのレベルも、違和感なく日常の中での一コマでしか感じない程の現実感のある課題プリントだった。逆に、小学校の同胞の仲間を隅々まで知り尽くしていたので、面白くもなく不愉快な気分にもなっていた。そんな劣悪な環境でもそれなりに仲間との過ごした時間は幸福だったし、何よりも楽しかったからだ。私はむしろ差別を生む土壌に疑問を呈する気持ちで、急に読後感想文の課題を自分に新たな命題だと、課したい気持ちになっていた。それからというものの、背中から付き押されるように一気に作文を書きあげて、気が付けば夜が明けて、原稿用紙15枚ほどにビッシリと怒りの文字が収まっていた。自分の中でのモヤモヤも少し晴れたぐらいの読後感想課題だったので、提出した際私の枚数の多さに周囲の冷やかしに少しの気恥ずかしさはあったが、自分の命題をやり遂げた達成感が有った。

一週間後の[現国]の授業が開始した直後だった。リベラルな女性教諭は、壇上からいきなり私を名指しした。私に壇上から前の課題作文を発表しろ、とのことだった。まさかの展開に一瞬躊躇したが、クラスメート全員からの熱い視線と喝采に、場を覆すことは出来なかった。自分への新たな課題を見出したので、私なりの[差別観]を原稿用紙に書き殴っただけの中身を、改めて人前で発表するのは想定していなかった。

意を決し壇上に上がり私は滔々と読み上げていた。途中、私の朗読に、教室のあちらこちらから、女生徒のすすり泣く声が聞こえてきた。間を置くわけにもいかず、すすり泣く声の重なったピークで、私の朗読は終わった。拍手喝采の中を仲間たちから称賛の冷やかしを受けながら席に戻っていくと、騒ぎを鎮めるようにリベラル女性教諭がクラスの皆に言い放った。

『皆、朴君の作文どう思う?朴君は、我々に新たなテーマを投げたよねぇ…。この後はフリーにするから、皆で自由に討論して[差別]についてちょっと考えてみようか?朴君みたいなテーマ投げをスルーするのは勿体ないし、このクラスに居る朴君のお陰で、凄い授業ができるのよ!是非最後まで皆でしっかり考えを纏めていこう!』

と言い残し、女性教諭は教室を出て後にした。

教諭のいない教室で、まず起こったのは数人の女生徒が私に詰め寄り、発表した作文の中身の更なる追及だった。私の作文を掻い摘んで要約すれば、在日差別の根幹や問題点よりも、日本そのものの土壌に潜む陰湿な差別観の根幹として[被差別部落]の問題の方が、更にやるせなく根の深い差別観の土壌になっている…との指摘であった。

究極を言えば、在日の被差別意識は、異国での差別観を享受して理解し転換可能であり、個の生き方如何によって、回避も克服も可能であるが、同和差別の根の深さは、日本で生まれ日本人としての権利を有しながら、日本人としての尊厳を守られておらず、しかも顕在化して論じられることも少なく、幼少の頃かから潜在的にアンタッチャブルな刷り込みを親世代から引き継ぐことも多いので、陰湿に根深く誤解と差別意識だけが独り歩きしている現状を指摘し、とりわけ問題点としテーマを投げかけたのだ。

換言すれば、在日差別よりも同和差別の方が救われない現実が有り、そこに目を向けない限り日本の差別問題は解決しない単なる絵空事だ、とテーマを投げたのだ。それには、中学の時に私が経験した差別問題で衝撃的なことも起因している。

当時、仲間と地域を徘徊しながら、新しいテリトリーの開拓に幾度となくある地域を促しても、絶対に仲間たちが避けた地域が有ったことに疑問を呈し、その返答に驚いたのだ。

『あそこは部落やから、絶対に行ったらアカンねん。行ったことがバレたら親に怒られるねん。』

『なんで部落やったらアカンのや?』

と聞けば、

『わからん!』

とだけ返事するだけ…。

何か別世界がある様に感じられ、非常に違和感を持った記憶が私の原体験に有ったので、在日差別とは違った異質な差別感情に驚きを隠せなかった。また、それを契機に母の蔵書に有った『橋のない川』(住井すゑ著)を全巻読破して得た、被差別部落の歴史的背景などの悲哀や人間の本質的感情の残酷さなども感じていたからかも知れない。私に詰め寄り、更に質問を浴びせた女生徒が被差別部落地域の中学出身者であった事に、私は逆にこれまで聞きたかった事も含め大いに議論し質問して、女生徒が泣きながら訴える悲痛な内容を脳裏に刻むことが出来たことで、正しく交わり認識を深く広めることの大切さに気付かされた。

誤ったバイアスを掛ける親の役割が如何に大切かも痛感した。差別する、差別される、二つの世界が存在するなら行き来できる[橋]になれる存在でありたいと強く意識した瞬間でもあった。その橋は、人間の尊厳を守る橋なのである。 [次回につづく]

※高校生活は、あっという間だ。数々の出逢いと別れを経て青年期へと成長していく礎になる。特に多感な時期での経験は,その後の人生の核にもなり得る。出逢いは、人のみとは限らない。人生の師と仰いだ先生との突然の別れと、茫然自失な日々…。目標を失いかけた時に、出逢った私のメンターであり憧れの師。そして、その後の人生を歩む上での[背骨]に注入された書との出逢い…。大学受験の挫折と青年期への復活の烽火を掲げるまでの紆余曲折は、次回へつづく…。

おしらせと今月の予定

★新年度紹介キャンペーン
1月〜5月まで特典一杯のお友達紹介キャンペーン開始

今月の予定
○4日…新年開講日
○12/23〜1/9迄冬期講習期間
○10日…中3最終全国テスト
○14日…大学共通テスト 中学入試解禁日
○14日…非受験生全国テスト

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