大きな夢と希望を持って進みだしたアペックス号は、実質の乗組員が私と家内だけの二人きりだったが、Nとの苦い経験から同じ二人でも格別に違っていた。信頼という安らぎが何物にも代えがたい気分にしてくれた。しかし、現実に生きていく為には、稼がなくてはならない。
これまで、物販の経験が無いとか、言っている場合ではないのだ。新婚早々にも拘わらず、我々にはスタートから厳しい現実と向き合わねばならない日々が待っていた。
販路も無く正にゼロからのスタートだから、先ずは販路の開拓に奔走した。
これまでにない画期的な商品といっても、どこをターゲットに開拓して良いものやら皆目分からず、手当たり次第に雑貨店や専門店に飛び込み営業をした次第だ。大阪では当たり前の断わり文句の『ほな、また考えときますわ…』と言われても、すがる思いで、取り扱いを懇願したが、断られることが常だった。A交易時代の預貯金も底が見え始め、いよいよ焦ってきた。
月々の生活費を捻出する術が無く、嫁に内緒で学生時代にお世話になったアルバイト先に、何度か深夜のバイトをこなしながら、生活費の足しにする有様だった。
しかし、起業したのにバイトをするという自己嫌悪に陥り、結局は現実逃避の悪循環にも成り兼ねないので、バイトは止めて足元から見つめ直すことにした。
グランドビルの36階から大阪の街を見下ろしながら家内に屋号の説明をした際、約束したことを反芻しながら、思い出してみた。『40歳までに自社ビルを建てる。毎年、海外旅行に行く。』と、結婚前に何とか彼女の気持ちをこちらに向ける為にいろんな約束をしながら気を引こうとしたが、この二つだけは、私自身が明確に胸に刻んだ目標でもあった。そして、その実現の為に具体的な計画を練り直してみた。何といっても日本の経済は東京を中心に回っているのだから、情報集積地としての東京で認知して貰えば、全国に波及するのではないか…と考えてみた。そして東京で商品がクチコミに伝わることを想像すると、いてもたってもいられず直ぐに行動すべく準備に取り掛かった。伊藤忠商事に就職し、東京で居を構えた大学同期のM君に電話してみた。彼の意見は、売れるかどうかはともかく、東京での販路を開拓するのは得策だ…と同意して、更に営業開拓中はホテル代が勿体ないので彼の自宅で遠慮なく居候しても大丈夫だよって言う。
彼も新婚早々の身分だが、夫婦で私の営業を後押しするというではないか。翌日、彼から数冊の東京近郊の電話帳が宅配されて、『この電話帳で営業の足しになるかな?健闘を祈る。弘祐がいつ来ても受け入れ態勢は大丈夫』とメモが添付されていた。私が、電話セールスの資料に電話帳を依頼したら、直ぐに対応して送ってくれたのだ。友情と友の期待に一人泣いたことが蘇る。
友の背中を押す激励も有って、私は商品1ケースと資料をトランクに載せて深夜にひたすら東京目指してアクセルを踏んだ。高速代が勿体ないので国道1号線で夜通し突っ走った。家内には一言『東京でこの1ケースを売り切るか、取引先を開拓するまで大阪には戻らない』と言い残したので、途中、四日市のドライブインで休憩の際に、家内から手渡された弁当に挟まれた私を励ますメモ書きを読んで、むせび泣いた。そして、不退転の決意で新たに一路東京を目指した。
東京での営業は効率を考え、電話セールスでアポ取りができたところを中心に回ってみた。今のように携帯電話の無い時代だから専ら公衆電話を利用することになる。私は、渋谷のA交易本社の前の公衆電話を良く利用した。理由はA交易時代の営業を思い出せることと、同期の連中も目の前で頑張っている筈なので、彼らに負けない為である。仮にも私を慰労し引き留めたO専務を振り切って辞めた以上、彼らには負けるわけにはいかなかったからだ。そんな調子で、その日も二千円ほどを10円玉に両替して、電話ボックスに入って一件ずつアポ取りの電話をしていた。大体、100件懸けて、1〜2件のアポが取れると良い方なので、とにかく営業で回る予定を作ることが先決になる。電話ボックスに入って二時間ほどした頃、コンコンとボックスを叩く音がするので振り向くと見知らぬオジサンが怪訝そうにこちらを見ているので、てっきり電話を利用したいのかと思い慌ててボックスから出てお詫びしたら、『あなたは、何時間も電話しながらボックスから出てこないけれども、しかも昨日も同じように電話していたので、どうも気になってお尋ねしますが、一体なぜ電話ばかりしているのですか?』と聞いてくるではないか…。まさか一部始終私の行動を見られているとは思わなかったので、事情を掻い摘んで説明すると、どうやら電話ボックスの前のお弁当屋さんの主人らしく、私の電話セールスを連日見ていたらしい。説明を聞いて納得したのか、店に戻って直ぐに又私のところへ来て『そりゃ兄さん、大阪から大変だなぁ。めげずに頑張って営業しとくんなせぇ。腹減っちゃあいけないから、合間にこれ食って頑張ってくださいよ!』と特上弁当の差し入れを戴く始末になってしまった。江戸っ子の人情に触れた瞬間で、アポ取り電話に更に気合が入ったのは言うまでもない。
そんなハプニングも挟みながら、何軒もアポ取りができたところを次々と営業に駆けずり回り、あっという間に日が暮れる毎日を過ごした。そんな中でも今でも忘れない出来事がある。千葉の船橋のららぽーとに入店しているサンリオの営業部長との出来事だ。面談約束より10分早く出向き指定の待ち合わせ場所に赴き、営業部長の登場を今かと待っていたら、15分程遅れて来るや否や、私の名刺を見ながら『アペックス商会?聞いたことないねぇ。ボク?って読むの?ふーん。忙しいのにこんな下らん商品で私を呼び出すなよな…』って言うなりテーブルに私の名刺を投げ捨て、プイっと振り向いて帰って行ったのだ。私は呆気に取られ暫く茫然と動けなかった。サンリオは山梨出身の創業者がそれこそ山梨の王に成らんがために苦労してハローキティのヒットもあって成功した人物が起業したのだが、社員にこんな態度をとる人物がいることを知っているのだろうか…。それまでサンリオには一目置いていた私が、それ以来キティグッズは娘にも買ってあげたことが無いぐらい、サンリオ嫌いになった出来事だ。しかも、私の名刺[名前]を投げ捨てる行為は、人間の尊厳を踏みにじる行為で、殴り倒しても良かったぐらいだった。呆気に取られていなければ、捕まえてぶん殴っていただろうが、現実に何の信用も無い屋号と名前の名刺が空しくて、ショックになっていたのだ。起業して、会社の信用を得ることが、いかに大変かを痛感した出来事だ。大阪を後にして一週間ぐらいした頃、流石に私も不安になってきた。友人のM君のところに居候していたが、成果の無い報告をする私を気遣い、毎晩ご馳走を振る舞って貰うのも申し訳なく、何とか商談を決めて早く帰阪したい思いが募っていた。そんな頃、一件の雑貨店との出逢いがその後の運命を変える契機になった。
世田谷で雑貨店を営むオーナーは、快く私の意向を汲んで、委託条件だが商品を展示販売することに協力してくれたのだ。『やっと、契約できた。これで帰阪できる…』と安堵したが、店のオーナーは『一件ずつ回って営業するよりも、ギフトショーという展示会があるから、出店してみればもっと早いのではないのかな…』とアドバイスしてくれた。そして、私にギフトショーの担当者を紹介してくれて、私は直ぐにその担当者に電話し、出店の意向を伝え、帰阪して改めてギフトショー出店の為の準備に取り掛かった。捨てる神あれば拾う神ありで、東京での営業は散々だったが、最後にギフトショーへの出店の手掛かりを得た出逢いが、更に運命を変えていくのだから、人生は分からないものだ。全く物販の業界のイロハも知らず手探りで目蔵めっぽう突き進んでいったが、犬も歩けば棒に当たる如く、小さな出逢いが潮目となって、航海は大きく舵を切りながら前に進みだしたのだ。
東京の浅草で、初めてのギフトショーに出展したのは、今でも鮮明に覚えている。資金不足から、全てが手作りの出展だった。『はがわりくん』は、幼児を対象に訴求したかったので、展示会用のディスプレイに悩んだ。メルヘンの世界を表現したくイメージしたが既成にそんなディスプレイは無いので、結局全て自作することになった。ジオラマ模型なんて経験も無かったが、材料を買ってあれこれ悩みながら何とか作り上げることが出来た。今でも思い出しては『よく、あんなことができたなぁ、またあの時代に戻ってみたいな…』なんて懐かしく回顧することがあるが、嫁は『二度とあんな時代には戻りたくないわ…』と一蹴されてしまう。信用も無い、おカネも無いのないないづくしのあの頃は、夢と希望だけを頼りに、二人で可能性を信じて前だけを見ていた。そして、いよいよ展示会の幕が開いた。自家用車で商品を積んで、夜通し運転して一睡もしていなかったが、初日は何がなんだか分からないうちに終わってしまった。来場者に商品説明をしても、ピンとこないのか、既成に無い商品故に随分説明に時間を要してしまうので、二日目は商品のポイントと購入するメリットのみに徹して訴求してみた。既存の取り扱い店舗等尋ねられるが、取引先がゼロだから有るわけがない。日本の商習慣は実績重視だ。そして横並びなので、大手が採用すれば後に続け…と他も追随して採用する傾向がある。採用担当にリスクを取る気概が無いのが良く観えて面白い。それを逆手にとって、私は勝負に出てみた。相手にリスク負担の無い(委託取引)で、要は売れた分だけ決済に回すやり方だ。本来の買い取り条件でのリスクが無いので、バイヤー達は『じゃあ、一度取り扱いしましょう』と数件の商談がまとまったのだ。委託条件とはいえ、取引先ができた喜びに、家内と祝杯をあげて意気揚々と帰阪したのだ。余談だが、展示会場で出逢ったNHKの記者が感心して、育児番組の放送テキストに取り上げてくれた関連で、後にベビー専門の通販会社等の引き合いが来たのは、副産物だった。
東京での出逢いの延長で新たな出逢いが連鎖し、これまで一切会社に鳴らなかった電話も、ベル音が鳴る様になってきた。会社に、問い合わせの電話が鳴る毎に、泣けてくるのである。世間が、ひとつずつ私に使命を与えてくれる喜びに包まれ、あらゆる仕事に全力で取り組んだ。僅かだか、少しずつ『はがわりくん』は世に出ていき、特に購入者から[感謝]のハガキが届いたのには驚いた。掛け替えのない子供の記念に大切にしたい…と記され、私のコンセプトが他者に届いたことに、実感として感動した。起業の原点は正にこれだ。
感動を共有して頂けるように、その後も色々と商品開発を自分なりに重ね、年に一度ギフトショーで発表し、取引先の拡大の為に尽力した。
[次回に続く]
※起業したものの、取引先も無く新婚早々から苦難の日々が続く…流れを変えようと一路東京目指して販売先の開拓に背水の陣で臨む…。捨てる神あれば拾う神ありと、様々な出会いの中で展示会出店の手がかりを得る…。風向きが変わり、追い風に乗らんと奮闘していくが…
今月の予定
○1日…新年度開講!
○11日公立高校入試
○19日公立高校合格発表
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【合格速報】合格おめでとう!!
●大阪信愛学院中学校[特進コース]…T・Kさん
◆近畿大学附属高校[スーパー文理コース]…K・Mくん
◆常翔学園高校[特進コース]…S・Hくん
◆上宮学園高校[英数コース]…T・Sくん、S・Mさん
◆賢明学院高校[特進コース]…T・Kくん
◆夕陽丘学園高校[文理進学コース]…A・Hくん