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アペックス便り8月号

◆前回のつづき  〜大学時代を経て社会へ〜

半年近く学習に身が入らなかった原因は様々だったが、浪人時のモチベーションの維持の難しさや目標到達への潜在的懐疑が無意識に働いていたのは事実だった。本当に『合格』するのだろうか、という確信が得られない不安感は現役や一浪よりも遥かに強いので、現実逃避に走りかねない状況が常に背中合わせになっていた。

また、三浪は絶対に許されないので、後が無い悲壮感は半端なく押し寄せてきた。

更に、初めて導入される入試制度改革の「共通テスト」の実施は、否応なく合格可能性をふるい分け、決定打になる重圧となって、日々襲ってきた。

●諦観と決断、そして新たな道へ…

アッという間に木枯らしが吹き始め、年も明けて最初の関門の[共通テスト]に臨んだ。

マークシートによる選択肢を短時間で捌く処理能力が問われる初の問題形式で、これまでどっぷり浸かった論述、記述のパターンとは一線を画した慣れないテストに面食らった。自己採点結果を正確に出して、予備校などで水面下での国公立大学合格可能性を探り、そして出願するので、特にこれまでの異常な高倍率で激戦を続けていた国公立医学部や、旧帝大クラスの難関大学志願者にとっては、試金石を経ての出願になるので相当な高倍率の抑止力になった。なにせ受験プロの予備校各自が実態と合格可能性を探り、今後の合格実績に積み上げるので、共通テスト結果は二次出願前の踏み絵になった。しかも過去に前例がなく予備校側もあくまで予想をデータ化するので、進路助言はかなり慎重で、厳しいものがあった。

予備校の担当チューターに共通テストの結果を引っ提げて、私も真剣に進路の相談に臨んだ。これまでの感覚的な進路指導は排斥され、共通テストの結果の得点に応じた水面下での実質倍率と合格可能性だけを[可視化]しながら進路を探るのである。担当チューターは冷徹にも「医学部受験の合格可能性にあと20点程足らない」と私に告げ「医学部以外の他学部ならどこでも可能性は有るよ」と付け加えた。たかが20点ではないか…と思ったがされどの20点で、この乖離は相当なハンデとなって二次試験の足を引っ張ると諭された。アタマが真っ白になった。

この二年間の浪人生活にどう終止符を打つべきか…本当に悩み、迷走した。

中学生以来夢に描き、梁先生との出会いで夢に拍車が掛かり、高校〜浪人と紆余曲折を経ても一途に医者を志してきた自分が、空中にフワフワと舞い上がったままで、地に足が付かない生きた心地のしない感覚を覚えた。家庭の経済的危機を乗り越えようと踏ん張っている父親にこれ以上甘えることは不可能であり、経済的援助無しで自活しながらこの先の自分の進路に早急な決断を迫られているのであった。

今回だけは自己判断や気合いだけの受験は出来ない。

受験プロとしての予備校が下す現実のアドバイスを、どのように受け入れて決断すべきかもう後が無かった。そして私は諦観した。医学部以外で自活して己の手で一人生き抜く為には「社長」になる他ないではないか…。しかも、商売するなら世界を相手に貿易する[商社]を作ればよいではないか…。じゃあ大学は商学部が良いだろう…。

調べてみたら、戦前から続く旧学制時代からの名門校で、三商大があった。東京商科大学[現、一橋大学]に、神戸商業大学[現、神戸大学]と大阪商科大学[大阪市立大学から現、大阪公立大学]の三校だ。

これまで全く他学部に関心が無かったので、伝統ある名門商大ならどこでも良いや…とばかり掘り下げて調べていくと、大阪市立大学なら最低コストで行けることが分かった。全国的な知名度はイマイチだったが、こと関西では[イチダイ]と親しまれ、歴史も知名度も抜群にあった。しかも、家から近くてバイクで15分も飛ばせば通学できるし、一番の魅力は授業料が日本一安くなる[大阪市在住市民]の特権が活かせる点である。

自活での進学という私の選択肢にこれで迷いが無くなり、全ての条件を包括する大阪市立大学への受験に向けて二次試験の舵を大きく切った。

そして受験して合格後、こうして私はあっけなく二年間の浪人生活に終止符を打った。

●社会に飛び立つ前のモラトリアム〜大学時代

たまたま先だって母校の近くを通る機会があったので、大学キャンパス周辺をチラッと見たのだか、超近代的な建物に生まれ変わり様変わりした雰囲気に驚いた。

我々の頃は、全国でも指折りの汚い古い大学で、時計台の近くにある田中記念会館ぐらいが新しい装いを醸し出していたぐらいであった。学食は安さのあまり、近隣の労働者から主婦までが利用するほど、超庶民的な大学だった。しかも、学生運動の最後の巣窟とも言われ、キャンパス内には至る所に、立て看板やアジトがひしめき、定期的に機動隊が出動しては、学生たちと小競り合いを繰り広げる光景も頻繁に目にした時代だった。殆どが年下の同級生だったが、面識を広げる機会も大学に行けばそれなりに増やせたのだろうが、進学後ぽっかり穴の空いた状態に陥った私は、必修のゼミや主要科目の出席こそすれ、行ったり行かなかったりを繰り返していた。

入試制度の変革に合わせて、急遽学部変更して方向転換した結果の進学だったので、忸怩たる思いを引きずっていたのは事実だった。紆余曲折はあっても、ストイックに受験勉強をしながら夢を追った日々から解放された反動で、緊張感の無い日々に閉口した毎日だった。しかも、学費からその他全ての経費を自分で賄う決意もあって、自活が先決だとアルバイトに精を出し始めた。大学時代に経験したアルバイトは数えきれないぐらいあって、ある意味社会の縮図を垣間見ながら実利も得られて大いに勉強になった。

あれこれ手を広げていくと、面白くなっていろんなアルバイトに精通しながら様々な経験を重ねた。終電後に地下鉄の広告看板張替作業、引っ越しの助手、サラ金の取り立て、日雇い労働、バキュームカーの清掃、病院での死体管理、等々…体力自慢だけあって、それこそ睡眠時間を削ってバイトに精を出すときもあった。いろんなバイトを掛け持ちしながら、当時の大卒初任給の倍以上は優に超すぐらい毎月稼ぐようになっていた。

また近所のお母さん達から子供の家庭教師を頼まれ、子供達を定期的に自分の部屋に来てもらう形で指導する、いわば塾の原型のようなものを始めた。

実際に短期で高校や大学の合格実績をあげ、子供たちもヤル気になったと好評になり、切れ目なく紹介が入ってきたので結局卒業まで続けることになった。

子供たちを厳しく律しながら、元来遊び好きな私は、生徒たちをキャンプやスケートなどアウトドアに連れて行って遊んだり、テスト前はオールナイトも辞さないぐらいの猛烈指導をして、生徒の成績を上げたので、子供たちはみるみる変化していった。もしかしたら今日の教室運営の原型を構築していたのかも知れない。

アルバイトで人様からおカネを頂くときも、子供の指導をして報酬対価を頂くときも、なぜこのおカネを自分が得られたのか…と感謝しながら深く考え、カネの還流する仕組みや流れに興味を持ちながら、常に考え掘り下げ、いろんな体験を進んで重ねてきた。中には、いつしか定番で働くようになったバイト先もあり、正社員でもないバイト身分にも拘らず、鍵を預けられ更に新人バイト生の指導や管理も任せられるようになっていた。バイト先でも、家庭教師先でも、[私の代役は存在しない]をモットーに積極的にどんなことも全力で励んだ。

実際、商売でも仕事でも[掛け代えの無い存在]や[必要とされるスキルや情報]を持って初めて、他よりも優位性を得られると実感した。あとはこれに「情熱」を持って実行できるか否かの違いだけで、信頼は実行力に比例して増していった。行動力は私のエネルギーの源泉で、何でもやってみなくちゃ分からないと、先ずはチャレンジする精神を最優先に発揮していった。もちろん失敗も数多くあったが、私の信条の「命までは取られない」をモットーに、興味あることには失敗を恐れず貪欲にチャレンジした。

こうして安定的に稼ぐようになって、学費納入の心配もすっかり無くなり、余裕が出てきて遊びのレベルも徐々に上がってきた。最近は車も乗らない若者が増えたようだが、我々の学生時代はクルマは究極の欲望の対象であった。バイクの免許を持っていた私は、更に行動範囲を拡大させ、未知の世界に誘うクルマへステップを上げるのは必然だった。いずれにせよ先ずは免許だ。教習所を飛ばして試験会場でのトライアルも考えたが、合格率の低さからとりあえず教習所に通い早々に免許取得する為に最短の一発合格で最低コストを目指した。

今では時効だか、しょっちゅう無免運転していたからマニュアル運転はお手の物で、わずか二週間余りで晴れて合格し、免許を取得した。取得後はすぐにマイカーが欲しくなるのを当然想定していたので、先輩のクルマに目をつけ、仮免許段階で水面下での交渉を先輩と続けながら、免許取得後にクルマを譲ってもらう運びになっていた。サーフィンをやり始めていた私は、商用車のバンが欲しくて多走行の車両だったが、納車が待ち遠しくて仕方なかった。

10万円で譲ってもらった走行8万キロを超えた日産バイオレットのバン車両だったが、愛着も増すにつれコツコツと改造しながら大切に乗って、更に走行距離を20万キロも加算した、私にとっては想いでの凝縮した最高の相棒だった。

[次回に続く]

※予備校通いで開始した二浪目も波に乗り切れずに失速し、初めて迎えた入試制度改革の前に断腸の思いで医学部受験を諦め断念し、他学部に転じて合格後、浪人生活に終止符を打つ…。社会に出るまでのモラトリムを充実させる為に、何でも好奇心に駆られるまま動き出すが…

おしらせと今月の予定

夏本番を迎えました。梅雨明け前、列島各地は大雨による甚大な被害の爪跡を残し、改めて災害に脆弱な国である事を認識しました。まさか…の意識のズレが命運を分ける一瞬の出来事として報じられ、豊かな水の恵が時として牙を向けてくる自然の脅威に、人間の無力をまざまざと見せつけられました。無力を知り、経験と智恵を活かし日頃から準備する大切さを痛感します。

今月の予定
○7/20〜夏期講習開始
○8/24まで各学年実施
○8/11〜13[3日間]夏季特別強化合宿
●8/11〜17夏季休講
○8/26 中3全国テスト

※担当講師の休講、振替がある場合は指示に従うこと。

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