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アペックス便り2月号

◆起業開始早々の挫折 〜PartA〜

●マイナスからのスタート

京都に着いても結局、埒が明かなかった。というのは、ことの全てを私に察せられたNが、開き直ったからだ。面と向かって話し合うべき事態にも拘わらず、Nは部屋に籠って私と対面せずにドア越しに会話する異常な状況だった。Nの奥さんが、私に申し訳なさそうに横でただ平謝りするばかりだった。私と対面すらできず、ただ『待ってくれ』を繰り返す元上司に私は諦観し、全ては人間の業だと悟った。

そして、信頼を裏切りで返されたこの一連の後始末がさらに大変だった。

結局、出資金の800万円は全てNに使い込まれた形で、そもそもN自身は共同出資金すら出さず、私の出資金を頼りに退社後の生活を維持し、後々の儲けで何とか帳尻を合わせる算段だったと奥さんに吐露していたようで、後日Nの奥さんからの報告でわかった。余りの稚拙な内容と言い訳に呆れ返ったが、このまま終わるどころか私には更なる苦難が待ち受けていた。まず、瀬戸のOさんや旭川のS工芸への商品代金の未払いが次々と判明したのだ。追加の出資金で支払い済みと思っていたのだが、Nは決済の延期を繰り返し、特許事務所の未払いと併せ、全て未決済の状況だった。電話で状況の説明をするのは忍びなく、瀬戸に赴き包み隠さずOさんに事の全てを説明した。

Oさんは、さほど驚いた様子も見せず、『なるほど、やはりな…』と腕組みしたまま、『で、これから貴方はどうするの?』と私に問いかけた。そして『貴方がいたから信用していたのですよ…』と付け加えた。私は間髪入れず『商品代金は必ずお支払いします。今後は私一人になりますが、何とか販売まで漕ぎつきたいので、今後も生産供給を宜しくおねがいします…』と深々と頭を下げた。Oさんは、『こうやって直々にお詫びに来る貴方は信用できます。これからが大変でしょうができる限りのサポートはしますよ!』と明快に答えて頂けた。ビジネスをする上で、信用ほど大切なものは無いと痛感した瞬間だった。私は、帰阪して直ぐに未決済の処理をした。二社の商品代金と特許事務所の未払い金で、700万円ぐらい決済にかかった。結局、私の持ち出しは合計1500万の金額に上った勘定だ。まだ、一体の商品も販売していないのに、おカネばかりが右から左へと消えていく感じだった。しかも自分で管理した感覚が無く、全てNに翻弄された結果だった。A交易在籍中の預貯金も底が見え始め、おカネの怖さを痛感した。誠実に誠意をもって迅速に対応したお陰で、旭川のS工芸も全面に応援サポートするので頑張る様に…と、電話で激励を受けた。

何とか急場を凌ぐ為に奔走した結果、信用は回復できたようだが、精神的疲労困憊に重ねて一連のNとの一件で私はすっかり人間不信に陥ってしまった。

Nには絶縁宣告して一切関わらない状態にした。顔も見たくない心境だった。Nは、使い込んだ私の出資金を必ず返す…などと口約束をするが、私は一切信用せず、金の切れ目が縁の切れ目とばかり、案の定やがて音信不通になった。

私に残ったのは、商品と事務所の備品と、仕入先の信用回復だけだった。

出資金を騙されて使い込みされたので、もしや登記も怪しいのでは?と調べてみたら、やはり登記すらされずに架空の会社と判明した。

元上司とはいえ、全てを信用し任せた自分の愚かさに呆れ返り、自暴自棄になった。Nへの抑えられない怒りが繰り返しこみ上げ、暴発しそうな感覚に襲われ衝動的な行動に出そうな、自分を見失う苦悩が続いた。

●自失の中で…

人間不信と自虐を繰り返す毎日が続き、焦燥していく自分に歯止めが利かず、人との接触が極度に億劫になり、殆ど一日部屋に籠る様になっていた。身体のエネルギーが枯渇するような感覚に陥りながら自分の馬鹿さと不甲斐なさを責める日々が続いた。後悔先に立たず…とはよく言ったもので、なぜ安易に共同経営の選択をしてしまったのか、自分を悔やみ回想しては自虐した。

起業する意義や創業精神を洗い直してみた。世に必要とされない会社は結局淘汰されるのが、資本主義の原理原則だ。これまでの日本に無い、いや世界にも無い、子供の乳歯を保存する記念品『はがわりくん』は、掛け替えの無い(宝物)に成り得るのか…。そして、人に喜びを提供できるのか…。答えの出ない、自問自答が続いた。会社としての形も無く、現実に営業活動すらできずに頓挫してしまった現状を、具体的にどう活動してよいのか途方に暮れていた。私一人だから、活動しようがしまいが何ら世間に関係が無いことが空しかった。A交易の頃は、お客様の為に自分が存在できた。

投資顧問としてのアドバイザーの役割があったので、契約後の顧客との関りは更に深く密であり、自分の存在意義が実感できた。仮に、我が商品を売ったとしても、販売を通じて自分の存在意義を実感できるものだろうか…と、これまで販売業の経験が無い不安にも襲われた。A交易を退社する際に、O専務に啖呵を切って辞めたことが思い出された。

『後悔するなよ…』と専務に言われながらもそれを遮って辞めた勢いはすっかり無くなっていた。創業の苦しみよりも、創業の意義を見失いながら漂流しているような感覚が続いた。

そしてそんな状況が半年ばかり続き、世の関りと断絶した無職の青年が、たった一人きりで部屋に籠る異常な生活が繰り返された。

●一筋の光

世間ではバリバリの働き盛りの青年が、部屋に籠りっ放しなのだから、家族はじめ周囲は相当ヤキモキしたに違いない。両親もかなり心配し、苛立っていたことだろう。元来のプライドの高さから、上手くいかないときは本当に自分でも厄介だ。特に私は黙っていても周囲を巻き込む影響力が有るらしい。プライドの高さに加え、人の助言や助けを求めず、自力で解決しようと他を寄せ付けないから更に厄介だ。いつも周囲はハラハラドキドキ見守るしか無かったのだが、今回ばかりは周囲が困惑している様子が良く伝わり、私自身も煩わしく感じて悪循環になっていた。

そんな日々の中、父が『お前も30歳になろうかというのに、まだ所帯も持たないのか…。親父は二十歳で所帯を持って頑張ってきたぞ…。』とまるで頓珍漢なことを唐突に言ってきて、さらに『惣領がこの調子じゃ、ワシの老後は真っ暗やなぁ…』と皮肉る始末で煮えくり返るぐらいの苛立ちを持ったことがある。しかし、それは父親特有の叱咤であり、ある意味、的を得た事実を客観的に私に認識させる術だったのではないか…と思い返せるような気がする。戦前、戦中、戦後と過酷な時代を生き抜いてきた父から見れば、息子の不甲斐ない姿は見るに堪えられなかったであろう。ましてや、長男は在日社会での一家のキーと思っている父からすれば、息子の成長を期待せずにはいられないはずだ。そんなある日、『仕事がうまくいかないなら早く結婚でもしろ』と促すものだから、余計に私の感に触り父に対して爆発寸前になったことがある。

しかし、自分の起業の一連の出来事を恨み後悔に拍車が掛かっていた時期だったのだが、父の一言は、ある意味30歳を前に冷静に自分の立ち位置を客観視する契機になったのも事実だ。大体、起業のスタートに躓き、収入どころか損失ばかりの尻ぬぐいに翻弄して、ヘトヘトになっているのに『何が結婚しろ、だなんて…無責任にも程がある』『ましてや仕事も無い、収入も無い八方塞がりの状況なのに…』と、思いながらも『そうか…、世間から見れば所帯を持っても不思議では無い年齢なのだ』と、これまでの歩みを振り返り、先行きの見えない絶望感と相まって妙に焦りだした不思議な感覚になっていた。

そんなある日、両親の知り合いから、素敵な女性がいるから軽く会ってみないか…と私に縁談が舞い込んできた。無茶苦茶なのは、『それどころじゃない』と私が断る前に、両親は『快諾したから会ってこい』と、私の気持ちを聞くまでも無く、既に約束したというではないか。

『快諾したから断れない』と嘯く両親を尻目に何とか対面を保とうと私も渋々その女性と会ってみることになってしまった。初対面の日が来た。細身の清楚な、少し控えめな感じの美人だった。軽くお互いの自己紹介を済ませ、ドライブに出かけた。

これまでの鬱積した生活から解放されたかのように、会話が弾んだ。

聞き上手なその女性は、終始私の話を熱心に聞きながら相槌を打ち微笑んでいた。あっという間に時間が流れ、別れ難い気持ちになっていた。

素直な気持ちで再開の約束を取り付けると彼女は微笑みながら快諾してくれた。その日の帰路で、自分の中で何か大きく運命の流れが激しく交錯し、新たな潮流として渦巻きながら全身が包まれ揺さぶられる感覚に陥っていた。

鬱々とした生活とは一変した希望の光が差しこんできたように感じた。

●再起を懸けて再始動

その後、私はその女性と半年ばかりの交際を続け結婚した。今では笑い話で済ませているが、当時、起業に躓き殆ど無職状態な身にも拘わらず、一切の私の仕事や収入等も聞かずに私の夢だけを熱心に聞き入り賛同し、実現できると信じてくれた妻には今でも頭が上がらない。妻は一切の打算無しで私の夢に共鳴共感しながら自身の夢を重ねていた健気な純真な乙女だった。

彼女と一緒なら、不思議と身体の底から沸々とエネルギーが湧くような感じになり、何でも達成できるような気になり、私は再起を懸けて再び動き出した。

先ず、起業の理念と理想を込めて[屋号]を決めた。

Nとの反省から、世間から自分の手で信用を得るまで、個人企業でスタートした。会社名はA(advanced)P(perfection)ofE(epoch-making)Xの頭文字を重ねてAPEXとし、APEX自体は[頂点]の意味があり、理想を【Epoch-making(画期的な)X(未知なるもの)を、Advanced(先進の)Perfection(完成)で[頂点]を目指す】と願いを込めて命名した。

米語読みをせず、あえてラテン語の韻を語源とする[アペックス]と読み、会社名は英語表記でもアルファベットの先頭の[A]で、日本語表記でも先頭の[あ,ア]に拘った。理由は単純で、電話帳など索引、名簿に載せる場合があれば先頭近くで目立ち易いと思ったからだ。何の広報も無くその存在さえ知らない人に対して、少しでも認知度を上げたい一心であった。

ふと、今でも思い出すことがある。大阪キタのグランドビルの36階から大阪の街を見渡し眺めながら、妻に再スタートの会社名を、理想と理念を込めて伝えた時の気持ちを…。私の原点である。

そして、その日以来、私は【夢いっぱい感じるままに…】をモットーに自分の行動原点を再度[夢]にフォーカスしながら全力で走り始めた。

たった一人ではなく、家族という絆があるだけで怖いものは一切無くなり夢と希望を掲げ大海原に向かって帆を大きく張って、再度進みだしたのだ。

[次回に続く]

※起業早々の挫折から、深い闇に突き落とされたかのように自暴自棄にもがき苦しむ中、一人の女性との出逢いで新たな夢と希望を見出し、再スタートをきっていく

おしらせと今月の予定

新年の元日の夕刻、最大震度7を記録する地震が北陸地方の能登半島を中心に襲いました。お正月を郷里で過ごす帰省も相まり日ごとに悲惨な被害状況が伝わります。目を覆いたくなる惨状に言葉が有りません。災害は忘れた頃にやってくる…と言われますが、地震大国日本で生きる以上、いつもに増して教訓としたいところです。この度の被災された方々には、深く哀悼の意を捧げたいと思います。

今月の予定
○10日 私立高校入試
○10日…進学説明会(中3)
○17日…受験説明会(中2)
○29日小/中 本年度最終
●3/1…小/中 新年度開講

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